バックナンバー(98年9月〜12月)



リチャード・ブランソン 『ヴァージン 僕は世界を変えていく』(TBSブリタニカ)
*ヴァージンといえば僕にはやはりレコード会社のイメージが強く、真っ先に思い浮かべるのはマイク・オールドフィールドの『チューブラー・ベルズ』ということになる。若い人にはメガショップが思い浮かぶのだろうか。イギリスではカリスマであり、日本では一般には航空会社と熱気球の冒険で有名な、ブランソンの自伝である。自伝であるから、悪い事は書かないだろうとうがった見方もあろうが、率直そのものの書きぶりで、失敗や後悔などもここまで書いてあると、素直に引き込まれてしまう。大部ではあるが一気に読ませる、実に魅力的な本である。

 マイク・オールドフィールドのファンの間では、ブランソンの評判はすこぶる悪い。マイクを食い物にした金の亡者といった扱いである。私もマイクのファンだが、実はブランソンは以前からけっこう好きだ。学生向けの雑誌の発行からレコードの通信販売を始めたのがはじまりで、金儲けと言うよりは次々に新しいことを思いきってやっていくのが、素直に「すごい!」と思えるからだ。マイクが苦しんだのは、むしろマイク自身の気質によるものが大きいと思う。

 マイクもブランソンも、それぞれの分野での天才だろう。そしてある分野での天才がほかのところでハンディを負っていることも少なくない。マイクが対人恐怖症だったことはよく知られているが、ブランソンは難読症であり、学校では挫折の連続だった。難読症の影響で時折右と左の区別も混乱するが、ビジネスの決断にはためらいがない。数学には苦しむが、ビジネスの数字には天才を発揮する。ワーカホリックであるが、金儲けよりは挑戦そのものを好んでいる。冒険家ではあるが向こう見ずではないし、意義があると考えた事は全力をかけて取り組む。信頼でき、補い合う多くの仲間たちと、情熱的に働くいっぽうで、家族をかけがえのないものとして大事にしている。仕事か余暇か、会社か家庭か、といった二者択一に縛られているようでは、ブランソンのライフスタイルは想像がつかないであろう。

 豊富なエピソードはどれをとっても面白いが、圧巻はヴァージン航空が英国航空の妨害に正面から立ち向かう、手に汗握る、痛快無比なたたかいであろう。そして、ブランソンが妻や子どもたちをこよなく愛するように、ブランソンを愛しつづける両親や家族たち。特に両親はたいへん魅力的な人たちだ。彼らの深い愛と適切で惜しみない助力がなかったら、ブランソンは単にドロップアウトして終わっていたかもしれないのである。校長先生が「君は億万長者になるか、犯罪者になるかのいずれかだ」と見ぬいたとおり。私はこれを(経営論としてはあまり現実的でないかもしれないが)家族論、教育論としてたいへん興味深く読んだ。

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ヒレル・レビン 『千畝』(清水書院)
*以前、某社の高校『現代社会』の教科書を作ったとき、コラム的に杉原千畝を扱ったところ、なかなか好評だった。当時は夫人が著わした『六千人の命のビザ』(朝日ソノラマ)を参考にしたが、やはり夫人のお書きになったものと言うことで、杉原の当時の外交官としての実像が分析的に描き出されているかについては、留保付きで読まざるを得なかった。まとまった客観的な史料が欲しいと思いつづけていたのだが、本書はまさにそういう要求にかなう書物である。著者はボストン大学教授の歴史・社会学者。著者自身ユダヤ人なので、客観性を貫き通すことが難しい面はやはりあるのかもしれないが、杉原の外交官としての仕事振りが、丹念な調査を通じて描き出されているから、それでもなおユダヤ人に大量の通過ビザを発行しつづけた杉原の思惑は何だったのかという核心部分について、いっそう際立って考えさせられることになる。背景となる昭和史にも詳しく、杉原を軸とした太平洋戦争ころの外交史としても読める。

後日記: ・・・と、上記のように書いたのだが、本書の記述には非常に多くの間違いのみならず、捏造すらあるという、きわめて説得力のある指摘があることを後で知った。かといって私自身に調査する能力があるわけでもないので、この項を削除してしまおうかとも思ったが、いったん書いた責任もあると思うので、ここに追記の上、残しておくことにする。事情は渡辺勝正『真相 杉原ビザ』(大正出版)に詳しいので、一読を強くお勧めして、ここをご覧になった方々のご判断に委ねることにする。(2000.8.21)

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ダン・シモンズ 『うつろな男』(扶桑社)
*夫婦ともにテレパシストだったが、妻を病気で亡くした夫が絶望してさまよう話・・・と言えばそれまでだが、何せダン・シモンズである。SF的には理論で煙に巻くパラレルワールドものに仕立て上げられていて、現代アメリカ社会の裏面が描き出されているところも面白さを支えているが、何といってもいつもながらの人物や出来事の書きこみが凄い。淡々とつづられる登場人物すべての人生は、一つ一つが壮絶である。例によって猟奇的なエピソードもあるが、最終的にはこれはヒューマニズムの物語である。

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ウィリアム・B・スペンサー 『ゾッド・ワロップ』(角川書店)
*これは面白かった。書いた物語が本当になってしまう話、と言えばまるで『はれときどきぶた』であるし、現実と幻覚の境目が崩壊していく話と言えばかのディックを思い出させるかもしれない。しかし、書き手が幼い娘を事故で亡くして鬱状態で精神病院に入院中だった作家であり、彼が封じたはずの物語に道行きをともにするのはある実験の影響を受けた病院の仲間たち、そして最初は幻想に見えた世界の崩壊が現実化していく様子は、実に飽きさせない冒険談になっていて、登場人物の詳細も魅力的。そして感動のラストシーンになだれ込んでいく。ファンタジーやSFにアレルギーがなければ、絶対お薦め。

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ニール・スティーブンスン 『スノウ・クラッシュ』(アスキー出版局)
*これは98年の翻訳SFではマイベストかもしれない。とにかく面白かった。スノウ・クラッシュはコンピュータウィルスでありながら人間をも侵す。なぜそんなことが・・・というところのアイデアが、サイバースペースから古代文明にまで遡って解き明かされていくスリルと壮大さといったらない。状況設定も面白い。近未来のアメリカだが、マフィアが経営するピザ・チェーンやら、フランチャイズ都市やら、自動車にワイヤーをくっつけてはスケートボードで高速で走り回る配達人やら。主人公のヒロはもちろんハッカーだが、日本刀の使い手でもある。敵キャラのレイヴンは防護服を突き破るガラスの凶器を作り、水爆を抱えて走り回る武闘派ライダー。この二人の生い立ちが第二次世界大戦でつながるところもまた「ニッポニーズ」として考えさせられる。配達人のY.T.は最高にかっこいい15歳の少女。すっかり正体が怪しくなった連邦政府に、怪しさの極致の新興宗教も絡む。さてさてこれらのディテールがどう組み合わさって物語になっていくのか?読んでみてのお楽しみ!

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國分康孝 『カウンセリング心理学入門』(PHP新書)
*國分先生のカウンセリング入門。先生は多くの入門書を書かれているが、それぞれに切り口が異なる。本書は、カウンセリング技法の入門ではなく、カウンセリングそのものについて理解を持つための入門であると思う。わが国におけるカウンセリング心理学の成り立ちや今後の課題について、先生ご自身のかかわりとともにかなり詳しく扱っているところに特色がある。また、日常生活における実践応用にも強調点がある。本書でカウンセリング心理学についてのアウトラインをつかみ、応用の視点を持つことで、カウンセリング心理学を学ぶための素地ができるであろう。

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ダン・シモンズ『愛死』(角川文庫)
『ハイペリオン』・『ハイペリオンの没落』(ともに早川書房)ですっかりダン・シモンズには虜にされた。本書は93年に発表された、5篇の「愛」と「死」をテーマとした中編小説からなる作品集。この翻訳ももう94年には出ていたのだが、ようやく読んだ。例によって念入りに書き込まれた重厚な文章は、論文読みにくたびれ果てた脳に、官能的とも言うべき読書の喜びを取り戻すには絶好。これでまた表面的には仕事が遅れるが、活気が戻った脳は仕事の質を高めてくれるだろう・・・たぶん。

作風はいかにもシモンズのリアリズムとは言え、いずれも個性的な作品で、仕掛けとしてはそれぞれ普通小説風、猟奇的幻想小説風、民族誌風、近未来SF小説風、戦記小説風の構成で、飽きることがない。強いて言えば圧巻は「大いなる恋人」であろうか。実在の戦争詩人たちの作品を折り込みつつ、第一次大戦のソンムの戦いを中心とした戦争のリアリティを描き出す架空の詩人の手記、という、思いもよらない構造の小説である。ここには単なる反戦のメッセージではなく、戦争と人生、まさに全体のテーマである「愛死」の真実が描き出されていると思う。

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國分康孝(編集代表)、中野良顕・加勇田修士・吉田隆江編『育てるカウンセリングが学級を変える[高等学校編]』(図書文化)
「学級担任のための育てるカウンセリング全書」全10巻の一つ。このシリーズは國分先生のカウンセリング理論の特徴の一つである「開発的・教育的カウンセリング」の体系的な手引書と言える。いずれの巻も執筆者は國分先生のアイデアを十分に踏まえて、実際の教育現場での活用を前提に書いているから、大変に面白い。私もほんのちょっとだけ書かせていただいたこの巻も、高校向けであるが、「これをやってみたら、あれをやってみたら」という提案の嵐のようなテキストになっている。学級経営、教科指導、進路指導といった、問題行動への援助以外の部分にも大きくページが割かれているところが特色である。分類上「お勉強!」にしたが、カウンセリングの知識のない人にも十分に「使える」本である。お勧め。

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グレッグ・ベア『凍(いてづき)月』(早川SF文庫)
火星コロニーの勢力争いに量子論的テクノロジーと冷凍脳の記憶再生がからむストーリーで、傑作『火星転移』の姉妹編だが、単独でも面白く読めると思う。量子論が主役級のアイデアかと思って読み出すのだが、冷凍脳のほうがメインになってくる。オチは途中から読めてくるが、ちょっとうまく行き過ぎか。いつもながら主人公はじめ登場人物がそれぞれ個性的なのが、なんと言っても魅力。

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宮原英種・宮原和子『赤ちゃん心理学を愉しむ---知性はどのようにして誕生するか』(ナカニシヤ出版)
これは、ピアジェの考え方とウズギリス-ハントの方法を応用して、生後2年間の赤ちゃんの知性の発達を追いつづけた、画期的な研究である。対象となった赤ちゃんは夫妻の知人の息子さんたちのようだが、所々に挿入された写真を見ながら読み進むと、暖かな雰囲気が伝わってくると同時に、その暖かさの中だからこそ却って、四年以上にわたった長丁場の研究を冷静に進めていくことがさぞかし大変だったろうと想像される。ここで得られた知性の発達の「順序」に関する知見は、説得力のあるものであり、多くのフローチャートは子どもの発達を観察するときに示唆に富むものであると思う。

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小松江里子『今日もママチャリが行く』(光文社)
うちの奥さんが「この連載が楽しみで『VERY』を買う」という、珠玉(?)の主婦エッセイ。奥さんにお土産のつもりで買ったのだが、やっぱり面白くて読んでしまった。主婦といっても、著者は有名な脚本家。私はあまりテレビドラマを見ないのでよく分からないのだが、ヒットした作品がいろいろあるらしい。まあそういう世界のヒトのエッセイ、というと、まあそういう世界のヒトですから、というモノが多いと思う。しかしこのヒトの場合はママチャリに息子さんをのせて保育園やスーパーを駆け巡っている姿が基本的なモチーフになっていて、そういう意味ではかなりいっちゃってはいるがその辺によくいる主婦であり妻であり母であり、世田谷の住人ではあるようだが大阪人でもあるので、素直に笑える。とにかく子育ての肩の力が抜けるのがいい。・・・しかしここに紹介することで誰が読むのか、そのへんがちょっと自問自答を要するかもしれん。

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西田公昭『「信じるこころ」の科学』(サイエンス社)
副題に「マインドコントロールとビリーフシステムの社会心理学」とある通り、カルト集団によるマインドコントロールの実際とビリーフシステムの操作についての研究である。著者はこれまでの社会心理学の成果を踏まえる一方で、実際にある新興宗教教団の脱会者たちを調査し、そのデータを元に論じている。マインドコントロールは、一般に想像されているよりもずっと巧妙に、強要的ではないやりかたで行われている実態、そしてその高い効果がわかる。そして自己・目標・理想・権威・因果の5つのビリーフ群の変容からマインドコントロールを読み取る視点を提言している。

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