バックナンバー(98年6月〜8月)



冨田恭彦『哲学の最前線』(講談社現代新書)
たいへんに読みやすい本である。著者お得意の小説仕立ての対話篇で、ハーバードのキャンパスを舞台に若い研究者が現代哲学を語り合うという設定。わかりやすいのだが、面白いと思うかどうかは、本書の中心テーマである指示理論を面白いと思うかどうかに、まずかかっている。そういう意味では、本書のタイトルはちょっと漠然としすぎてはいないか。僕としては、本書の流れでは最後に登場するローティがもっとも馴染み深いので、ローティにいたるプロセスを手っ取り早く把握するのに役立った。

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村上龍『寂しい国の殺人』(シングルカット社)
分類は「お楽しみ」だけど、内容は重い本。学生のX君が「これ、けっこういけてますよ」と持ってきてくれたので、空き時間に読んでしまった。援助交際や少年犯罪に関する考察である。悲しさから寂しさへ、人の満たされない気持ちは移り変わっている。「近代化の終焉」を認めていない大人は、当然それを子どもに伝えないから、子どもは何をやってよいかわからなくなる。法律を厳しくしろとか、親や教師が威厳を持てとかいう情けない議論にウンザリしている気持ちは全く同じなので、大いに共感した。自分が自分としてしっかりと生きてなくちゃ、ということなのだが、世間一般のモノサシは通用しないのだから、どんな自分だけのモノサシを自分で作るかを考えなければならないのに、結局その辺から拾ってきたモノサシを使ったりしていないか。うーん、大変だぞ。

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黒田豊『インターネット・セキュリティ』(丸善ライブラリー)
日ごろ、身近なところでは電算関係の先生方のおかげ、そして世界中のあちこちでいろいろな人々が支えてくれているおかげで、私ごとき者もこうしてインターネットを利用させていただいている。ありがたい事である。それだけに、セキュリティの問題はいつも気になる。自分が被害を受けるだけならまだしも(ったって、程度によるが(^^;)、もし自分の不手際で学校のシステムに不都合をきたしたら・・・。私は実はけっこう心配性なので、そんな悪夢にうなされたことだってあるのである(^^;。というわけで、この種の本はそれなりに読んでいるつもりだ。本書はあくまで素人がセキュリティについて精確な認識を持つように書かれた本である。大変わかりやすかったが、ちょっと食い足りなかった。インターネットに限らないが、正直なところ、専門外の人向けの「入門レベルからほんのちょっとだけ専門レベルに近づいたレベル」の本(ややこしいけど)がなかなか見あたらなくて困る。結局は本を読むより実践、ということなのだろうが、そうなると素人には手が出せないし・・・という矛盾にけっこう苦しむ。

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K.J.アンダースン&ダグ・ビースン『終末のプロメテウス(上)・(下)』(ハヤカワ文庫)
サンフランシスコ湾での巨大タンカー事故によって大量の原油が流出、その処理のために散布された微生物が暴走、世界中の石油製品のほとんどが分解されていく、という破滅小説。アイデアに新味はないが、上下二巻の読み応えを期待して買った。確かに面白かったのだが、アイデアは上巻で出尽くしてしまって、下巻は愛と冒険のサバイバル小説の面白さ、ということになる。登場人物もそれぞれ魅力的でバラエティに富むが、ステレオタイプと言えばステレオタイプ。一気に読める痛快さはあるが、もう一捻りほしかった、というのが率直な感想。

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カート・ヴォネガット『タイムクエイク』(早川書房)
小説を読む楽しみはいろいろあるが、「気の利いたひとこと」に出会う楽しみ、というのが私の場合かなり大きい。だからコラム集とかユーモア短編などは大好きである。実は哲学なんぞもそれが楽しみでやっているのかもしれない。そうとう大きな「気の利いたひとこと」が出てくるからである。しかしこの世界では出し惜しみをする人が多くて、恐ろしく念の入ったうっとうしい前書きが延々と続いた挙句にポロリと出てくる、というパターンが目立つので息切れもする。その点、小説はよい。

で、ヴォネガット久々の長編小説であり、ヴォネガット自身によって「最後の小説」と宣言された作品である。しかしこれは小説としてはもう超越してしまっている。おなじみの登場人物であるキルゴア・トラウト以上に、ヴォネガット自身が雄弁になっている。ハインラインのように饒舌な小説を書くよりは、もう小説を超えて饒舌になる事をヴォネガットは選んだように見える。ヴォネガット自身が言うように、この小説は独立した一つの小説なのではなく、すべての小説の終章であるとすれば、納得がいく。逆にいえば、この作品からヴォネガットに入る事は、ちょっと想像できない。やはり『プレイヤー・ピアノ』や『スローターハウス5』(映画も好きだった!)あたりが、私にとってはヴォネガット(Jr!)のイメージである。

とはいえ、最初の話に戻すと、この作品は「気の利いたひとこと」に満ちているから、もちろん私は大いに楽しんだ。特に56・57章あたりは大好きである。

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ピーター・シンガー『生と死の倫理』(昭和堂)
これは大変に重要な書である。1946年オーストラリア生まれのシンガーは、現代倫理学を語るときには絶対に落とせない、というかもっとも「有名」な倫理学者である。「有名」になってしまったのは、彼がオックスフォードで動物解放と菜食の運動を始めたからである。それだからと言って、倫理学関係の人はシンガーの書いたものを読まないわけにはいかないから(反対している人は多いが)誤解している人は少ないと思うが、一般の人々には胡散臭い目で見られることが多いようだ。

本書では生と死の倫理を、いわば生と死を超えて論じている。いつもながら明快であると同時に、ドキュメンタリーも含めてきわめて実践的である。シンガーの言う「死の判定基準として脳死を用いることは倫理的決定であり、科学的決定ではない」ということについては、私は全くその通りだと思っている。「脳死」の「科学的決定」と「脳死を死とすること」の「倫理的決定」を混同することで、生命についての判断をあいまいにするようなやり方はもはや限界であるという指摘は、全くその通りだと思う。しかし、生を同じ基準で判定できるのかを考えると、私は本来的には功利主義とは別の根拠が必要だと思っている。

それにしても、シンガーの本を論じるときに突き当たる限界がある。たとえば、読み終わった私は、菜食するのか、ということなどがそうだ。実は今まで私は、今朝自分で作ってきたおいしいチーズとハムのサンドイッチを食べながら、キュウリを切らしていたのでちょっと物足りないなと思いつつ、この本を読んでいたのである。実践のレベルで自分は何をするのかを自分に問うとき、やはり実践に徹しているシンガーの力は、ものを言う。

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池田清彦『さよならダーウィニズム』(講談社選書メチエ)
これは、面白かった。構造主義進化論が面白いのはもちろんなのだが、この先生の語り口がまた面白いのだ。後書きを読むと、本書は「語り下ろし」で書かれたということで、そういう状況のせいもあるのかもしれないが、ユーモアとアイロニーが豊かで、ついつい引き込まれてしまう。構造主義進化論が面白いのは、生物が物理・化学的に解明し切れない・・・というのが不正確ならば、生物はDNAに還元できないということを説得的に示唆する仮説だからである。ソシュール以来の構造主義の恣意性が、生物にも当てはまる。その意味ではネオ・ダーウィニズムが「お話しとして」面白い以上に、このお話しははるかに面白い。特に生命と時間の関係は、私はシンガーなどの功利主義倫理学では解ききれない生命倫理のアポリアに取り組む基礎になると考えていることもあって、非常に興味深く読んだ。

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J.ヤンクラ&W.ドライデン著、國分康孝・國分久子監訳『アルバート・エリス 人と業績』(川島書店)
私も翻訳のお手伝いをさせていただいたのでちょっと手前味噌になるが、これは重要な本である。アメリカではフロイトやロジャーズと並んでよく知られ、引用される心理療法家で、論理療法の創始者エリスの半生、理論、論争、影響を、広範かつ緻密に研究調査し、論じたものである。

エリスの半生がまず面白いし、論理療法の発展の過程も豊富な実例によって分かりやすい。論争のポイントがまとめられているのも、エリスの理論の批判的検討に役立つ。内容の濃さにもかかわらず、読みやすい本になっている。論理療法の入門書などで関心を持ち、論理療法そのものをより深く知りたいという人には、ぜひ勧めたい。

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アランジ アロンゾ『わるい本』(ベネッセ)
本屋さんで見かけて、すぐに気に入ってしまった。まんがとフエルトマスコット写真による、大人の絵本。主役のキャラクター「わるもの」と、「うそつき」などの脇役が、その名前どおりの事をちょろちょろとするんだけど、可笑しくて可愛くてちょっと悲しい・・・これはまあ実物を見てもらうしかないかも。作っているのは関西の女性二人組。ベネッセの育児雑誌のキャラクターデザインをしている人たち。他にもシリーズがある。

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宇沢弘文『日本の教育を考える』(岩波新書)
宇沢弘文といえば『自動車の社会的費用』(岩波新書)を思い出す人は多いと思う。数学科出身の経済学者であり、かつ社会的活動にも積極的に参加してきた人である。社会的費用から経済現象に切り込む経済学は、数学と社会的現実の両方に深く関わった著者ならではのものと思う。本書は、数学教育と大学改革に焦点が当てられているが、今日となってはいささか旗色の悪い、リベラリズムの姿勢を徹底してとっているところはさすがである。それは著者自身の教育経験に基づいていて、その回顧談も面白いが、かといって教育全体を見回したときに著者がこの著書の中で述べていることだけでは納得できない部分が多いことも確かではある。しかし述べられていることに関しては、教育経済学批判という著者ならではの論拠によっているので、説得力がある。

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相良亨『日本人の心と出会う』(家伝社)
日本倫理思想研究の大家、相良先生の講演やエッセイをまとめたもの。しかしこういう本にありがちな、寄せ集めにはなっていない。宗教、自然、死生観などの大きなテーマ、誠実、正直などの徳目、宣長、篤胤、梅岩などの人物論、そしてもちろん武士道、伝統と現代、といった、先生の研究分野が網羅され、かつそのほとんどは倫理学の非専門家に向けて書かれたり話されたりしたものだから、分かりやすい。結果的に日本倫理思想の恰好の入門書になっている。編集者の目配りも光っているということだろう。

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今福龍太『野性のテクノロジー』(岩波書店)
ついに読んだ、という思いが強い本。読み終わった今も、この本のことをどのように論じたらよいのか、戸惑いがある。書いた人は人類学者であり、書かれた人々はアーチストであるから、人類学とアートの交差点、という謳い文句には間違いないのだが、かといってアートを人類学の視点から論じたなどというものでは到底ない。

アメリカの詩人たちと人類学。シュルレアリストたちとプリミティズム。リベラ、エイゼンシュテイン、コバルビアスたちとメキシコ。マヤ・デーレンとブードゥ。サルガードのブラジル、ペドロ・メイヤーのCD-ROM作品、そしてゾンビ。これは、人類学とアートを産み出してきた文字通りの意味での「力」の連鎖である。その「力」とは、現実の見え方を変えてしまう力、客観としての世界を変えてしまう力である、と私は思う。

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イアン・バンクス『フィアサム・エンジン』(早川書房)
評判の良いSFなので読み始めたが、なかなかてこずった。未来の地球が舞台で、現実の世界とデータ世界に重層的に存在する人々が、地球の危機に対処できるかどうかという話。設定は単純なのだが、物語としては仮想現実が重層していて、ディテールにもこだわっているので、どうも読みにくい。やがて気づいたのだが、この場面切り替えがゲームの世界に似ているのである。だからRPG好きな人はのめりこむかもしれない。

終わり頃になるとエピソードが収束してくるので、だいぶ読みやすくなる。しかしこのオチにはいろいろな意味でたまげる。オチそのものというよりも、オチ方が・・・。このオチがなかったら、ここで紹介しなかっただろう。

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関川夏央・谷口ジロー『「坊っちゃん」の時代』(双葉社アクションコミックス)
『坊っちゃん』は時代に抗うが勝てない旧時代の人間を描いた悲しい物語だ、という文学者関川と、おそらく彼の深い理解者であり、達者な書き手である谷口ジローの書き上げたこの物語は、端正な文学作品に仕上がっている。これがマンガでなければならないのか、という問いは、私自身も持つところではあるが、この作品の存在の文脈から言えば、決して関心の深くないテーマについて私もこれを読むことになったという事実が一つの答えになるだろう。いずれ続刊も読んでみようか。

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山根一真『文庫版メタルカラーの時代5』(小学館文庫)
私はハードカバー版で『メタルカラーの時代』を読んで、いたく楽しんだ。「メタルカラー」とは著者の造語で、ホワイトカラーでもなければブルーカラーでもない、技術革新の現場で第一線で活躍する人々のことである(・・・だったと思う、本を誰かに貸してしまったきりで手元にないので確かめられない)。そういう人々と、ジャーナリスト山根一真の対談集である。文庫化されて1巻〜3巻になり、続編の『メタルカラーの時代2』が4巻・5巻になっている。で、その文庫版の5を読んだ。やはり、とにかく面白い。夢枕に立った死んだおかあちゃんが団子を手で丸めているのを見て、超極小ボールの研磨方法を思いついて作ってしまう職人さんは凄すぎる。そういう凄い人たちがどんどん出てくるこのシリーズは、まあうちの学生さんなら必読でしょう。みんな読んでるかい?

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