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最近の更新(11年6月〜12年1月)


JAMES MOLLISON "WHERE CHILDREN SLEEP" (Chris Boot Ltd)
 見開きの左ページに子供のポートレイトと短い解説、右ページにその子の「寝るところ」がある。そういう写真集である。それは「寝室」ですらなく、屋外に置かれたマットレスであることもある。テロや貧困や犯罪の世界に置かれた子供たちを見るのはつらいが、豊かな世界にいる子供たちが抱える不幸も、解説を読んで初めて分かることもあって、時折愕然とする。日本の子供は3人登場する。ここに切り取られた彼らは、ちょっと変わってはいるかもしれないが、少なくとも不幸な子供たちではないはずである。しかし、この大勢の子どもたちの写真の中にあって、不安を感じずにいられるだろうか。すべての子供たちがそれぞれ語っている夢を、大人である自分が一つも保証してあげられない無力さに打ちのめされながら、しかし目を離すことのできない写真集なのである。

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稲垣真澄編集代表 『特異的発達障害 診断・治療のための実践ガイドライン』(診断と治療社)
 特異的発達障害の臨床診断と治療指針作成に関する研究チームによる本で、実際の検査方法と、診断に基づく治療の例がまとめられた本。便利であるだけでなく、実例が参考になるのでありがたい。ただ多くの場合、対象が小学生程度で、私の仕事からすると成人のための検査法を確立してほしいところで、本書でも成人の扱いは小さいが、ある研究者によれば開発中で完成も近いとのことである。また、小学生用の検査でもじゅうぶんスクリーニングはできるというアドバイスもいただいているので、本書を参考にしつつ、役立てていこうと思っている。

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安田峰俊 『独裁者の教養』(星海社新書)
 これ、面白かった。大学で歴史を学び、サラリーマンや禅宗の僧侶の経験もあるとはいえまだ30歳ほどの、中国語に堪能なノンフィクション作家、という紹介ではなかなか得体のしれない著者が、独裁者の若いころにスポットを当てて人物像を探るオムニバス形式の展開に、ワ州の潜入取材が挿入される。毛沢東やスターリン、ヒトラーはもとより、ニヤゾフ、そしてワ州の鮑有祥まで、さまざまな独裁者が取り上げられるのだが、最終章が「日本人」となっているところがミソなのである。あとがきにあるように、大変に中身の濃い、読み応え十分でしかも面白い本である。本の造りも独特でよかった。

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宮田珠己 『旅の理不尽 アジア悶絶記』(ちくま文庫)
 表紙のバカみたいなイラストに惹かれ、目次を見て各章のタイトルの不真面目さに喜び、著者の「会社勤めしながら有給休暇を使って」アジア各地を旅するというスタート(結局は退職しちゃうわけだが)が気に入って読んでしまった。面白いのは、基本的にふざけた書きぶりと、不慣れな旅行者が「こんなことしちゃいけませんよ」とまず注意され、さすがにそれはしないだろうというようなことをやらかしてしまうというような話が多いことで、確かにこんな旅行記は読んだことがなかった。たいへんおもしろかったので、他の本も読んでみようと思う。

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倉山満 『誰が殺した? 日本国憲法!』(講談社)
 勤め先の学校が法人化されて、なんだかよくわからない仕事が膨大になってきた。なので、ICTとやらによって整理するから、何がICTにできるか調べるからヒヤリングやるので準備しろとかって何よ!?なんだかよくわからない仕事はやらなきゃいいじゃないか。理科系の学校なのに、「前提が間違っているのに、答えがあっているように見せかけるための怪しげでばれにくい膨大な証明をでっちあげている」みたいなことを平気でやっている。法人化すると公務員的な無駄がなくなるとかいうのは大ウソで、無駄がなくなりましたよという証拠をでっちあげるための無駄な仕事が増えて、その結論が無駄がなくなったという膨大な報告書類になるという、全くふざけた話なのである。もちろんそんなもの読むのは時間と労力の無駄だから誰もちゃんと読まずに済ませるのである。ばかみたいである。さて、たとえば神はいないとします。そうすると、神がいるという前提で組み立てられてきた神学はもとより、哲学にせよ政治学にせよ文学にせよ、「答えがあっているように見せかけるための怪しげでばれにくい膨大な証明をでっちあげて」きた多くの人間の思索はどうなのかというと、やはりばかみたいである。「日本国憲法」はもちろんだが、自分の商売で言えば「学習指導要領」なんかも、前提がすごく怪しげであることは、少なくとも皆知っている(と思うけど・・・)から、「そこから」ものを考えることは「怪しげでばれにくい膨大な証明」のでっちあげにはまり込むことなる。つまり、やっぱりばかみたいなのである。まあこうしてみると、ばかみたいなことばかりで、人間はばかみたいなのではなく本当にばかなのである。だからせめて、ばかなことをやってホントばかだなあと思いながらやりたい。利口なふりをしてやったり、利口だなあと(マジで)思いこんでやったりするのは、おなじばかならそっちが得かもしれないが、損してもいいのでそっちのばかにはなりたくない。まあ神と同じで、前提が「正しい」と思い込んでいるやつが本当にいるらしいので、これが本当のばかなのだろうが、まあどんなばかであれ、死ななきゃ治らないのは同じで、古人の言い伝えはじつに当を得ているなあ。

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荒川弘『百姓貴族1』(新書館)
 すみません、『鋼の錬金術師』は読んだ事ないのです。その作者として有名な女流漫画家、荒川弘は、十勝の農家出身。その農家生活の爆笑エピソードを綴りながら、実は日本の農政の問題をかなり鋭くえぐる内容になっている。これを書いている今は、首相がTPP参加に意欲を示し、各省庁は管轄に都合の良いまったく矛盾しあう「試算」とやらを出し合っていかに役所の出す数字なんか信用ならないかを曝し合い、付け焼刃で玉虫色の「食と農林漁業の再生実現会議」が絵空事をぶちあげている。でもこのマンガの中で描かれる牛乳の生産調整の例一つ見ても、現実の問題には政府はまともに対処できない事も分かりきっている。それにしてもこの漫画、作者が女性だと思われるエピソードが一つもないのが、農業のすごさを感じさせる。それでも百姓貴族は生き延びる。私たちの食文化は滅びる。

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藤原聖子 『教科書の中の宗教』(岩波新書)
 高校公民科の「倫理」や「現代社会」の授業で、宗教を取り扱うことについては、私なりにいろいろな試行錯誤をしてきたので、この本には大変興味をもった。著者は比較宗教学の専門家であるだけでなく、実際に高校「倫理」の教科書執筆にもかかわった人なので、実際の教科書の記述を取り上げながら、問題点を指摘している。内容的な問題点の指摘は、専門家からの視点でいろいろ気付かされるし、フランス、ドイツなどとの国際比較も大いに参考になる。また、実際に高校の教員からも学生からも多くの声を拾っているのも、議論の幅を広げていると思う。  ところで、私は高校公民科に関する研究会にかかわっていて、ここ数年、日本仏教やギリシア哲学の学者を呼んでは「教科書の取り上げ方はおかしい」という話をしてもらっているので、高校「倫理」における宗教の取り扱いについて著者が指摘するような問題点についても、ある程度、危惧してきた。一面的なとらえ方、宗教に優劣をつけるような視点や記述、ステレオタイプ化する比較や図表など、一つ一つもっともである。  現実的な問題として、センター試験をはじめとする大学入試で、入試問題は検定教科書を参照し、検定教科書は入試問題を参照するから、いったん教科書に載った内容は、指導要領が変わっても変わらない、という経験をずっとしてきた。答えを一つに決めるという教科書の在り方も、入試との関係が強い。だから、教科書会社も執筆者も、相応の割り切れなさをもって仕事をしているのだが、それにしても、著者が指摘するような問題点をそろそろすっきりとさせたいと思うのは、実は多くの執筆者たちや編集者たちも同じだと思う。教科書関係者がもっと自由に、したがって当然のこと責任をもって教科書を作るためには、著者が終章で提言するような様々な方策が必要である。教科書のボツ原稿まで提供しながら、これからの「宗教教育」について考えさせてくれる貴重な一冊である。

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P. G. ウッドハウス 『感謝だ、ジーヴス』(国書刊行会)
 前訳書『お呼びだ、ジーヴス』に納得がいかなかったので、期待していたのが本書。作者90歳の記念に発行された長編で、誕生日に間に合わせるべくやや唐突な終わり方かと思うと、米国版で加筆された部分も紹介されていて、満足のいく翻訳になっている。バーティをはじめとする男たちの間抜けぶり、おば様からお嬢様まで女たちの暴れっぷり、もちろんジーブスの活躍とおとぼけぶり、どれをとっても絶好調、とても89歳の作家が書いたとは普通なら思えない。歳を取っても分別臭くならないことはすばらしい。さて残るシリーズの翻訳はあと一作。泣いても笑っても最後なら、大いに笑わせてもらいたい。

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マイクル・フリン『異星人の郷(上)・(下)』(創元SF文庫)
 もともとは現代の部分だけの中篇だったらしい。中世ドイツの小村に、異星人の一団が不時着する。村の司祭を中心に、異星人と人々との交わりが描かれるのだが、とにかくこの中世の書き込みがすごい。領主や村人の生活、十字軍からペストの流行など、歴史考証に基づいてじっくりと描き出されていて、異星人がいなくてもそれなりの歴史小説として読めてしまう重厚さだ。とはいえ、この小説は、使い古されたいわゆるファースト・コンタクトものなのに、何とも斬新なのである。異星人のテクノロジーが優れているのは当然として、しかしそれだけで優劣が決まる事はなく、まず不十分なコミュニケーションがどのように異種族の関係を形作っていくのかという部分のひねり、そして何と異星人の一部がキリスト教に改宗していく!という展開。その分、現代の二人の存在感がやや薄れてしまった感じだが、それにしても面白かった。

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ロバート・チャールズ・ウィルソン 『クロノリス―時の碑―』(創元SF文庫)
 東側の体制崩壊などのニュースを見ていると、指導者の巨大な像が破壊されていく映像は実に象徴的に映る。この作品では、未来の日付と「クイン」という名の付いた巨大なクロノリスが時間を超えて次々と出現し、都市を破壊していくという、とてつもない設定で引き込まれる。主人公をはじめ登場人物の個性もよく書きこまれていて、魅力的である。キャンベル記念賞受賞作らしさがある。『時間封鎖』・『無限記憶』より前に書かれた作品だが、突拍子もない設定、魅力的なオブジェもしくはガジェット、ねちっこい人物描写という三拍子そろった面白さはすでに満載だ。

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P. G. ウッドハウス 『お呼びだ、ジーヴス』(国書刊行会)
 おなじみのジーヴス・・・と思って読み始めると、いつもと勝手が違って戸惑う。語り手のバーティはなぜか登場せず、ジーヴスはなんと賭け屋の会計係に扮して登場である。いくら危ない橋をたびたび渡ってきたジーヴスとはいえ、これはないんじゃないか、とあっけにとられる。この作品は、ブロードウェイでミュージカルを書いていた時のガイ・ボルトンとの共作劇のノベライズ版ということだ。ジーヴス自身がかなりのドタバタを演じる部分は、さすがに安直なお笑いと思わざるを得ないが、終盤に近付くにつれて、男女の中のもつれがほどけてきて、ジーヴスの知略もそこそこ功を奏して、ハッピーエンドにしゃれた落ちがつくあたりで、ようやく留飲は下がる。短編「ジーヴス、オムレツを作る」は、そんな読者の不満を少し中和させる。それにしても、訳者あとがきによると、残りはあと二編なのだそうだ。楽しみではあるが、さびしくもある。

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木廣文 『質的研究を科学する』(医学書院)
 最近参加したある勉強会でも、症例のメモから皆でキーワードを拾い上げていくうちに、関わり方が見えてくるという体験をしたばかりだが、ケースカンファレンスでしばしば体験するこの出来事は一体何なのか。学生相談を学んだ大学院では、倫理学の出身であった私がまったく手をつけたことのなかった統計的手法を、学んだと言うか学ばされた。教授法の効果測定とか、学習事項の印象測定など、いろいろと応用が利いて、それは非常に役に立ったのだが、日常の学生相談そのものには、むしろそこで交わされた言葉、クライアントが置かれている立場などのデータを突き合わせて解釈していく営みが役に立つ。本書は看護学の先生の書いたものなので、事例としては看護学のケースが取り上げられるが、現象学や構造主義言語学などから質的研究の意味を明らかにするので、専門分野にかかわらず、自分たちはいったい何をしているのか、ということを理解できる一冊である。

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