バックナンバー(06年10月〜12月)




永井均 『ウィトゲンシュタイン入門』(ちくま新書)
 哲学は個人のものではないかもしれないが、哲学することは個人のものでしかありえない。哲学者永井均の著書は、彼の哲学がつづられているので、『これがニーチェだ』もこの『ウィトゲンシュタイン入門』も、永井均のニーチェであり、永井均のウィトゲンシュタインであるし、そうであるしかない。だから、本書は読者にとっての「入門」ではなくて、永井均にとっての長い長い「入門」の過程なのである。しかしながら、読者は永井の入門にそっと付き添うことによって、いつしか自分も入門しつつあるような気にさせられるであろう。私はある必要があって久しぶりにウィトゲンシュタインと付き合わなければならなくなって、この本を紐解いたのだが、本来の必要からはどんどん遠ざかってしまった。それはそれで十分に貴重な体験であった。

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アントニー・バウチャー 『タイムマシンの殺人』(論創社)
 ダーク・ファンタジー・コレクションの3冊目。アンソロジストや編集者としても著名なバウチャーの、ユーモアと皮肉の効いた奇妙な味わいの短編を12編収録。じつは最初の「先駆者」があまり面白くなく、次の「噛む」も不条理ホラー風でピンと来ず、そのあたりでしばらく放っておいたのだが、ふと続きを読み出したら、悪魔モノやSF、ごく短いアイデア落ちから皮肉な展開まで、粒ぞろいの面白さで、一気に読み終えてしまったのだ。「先駆者」の面白さが分からないのはワタシだけかもしれないが、もし同じ嗜好の方がいたら、ちょっと飛ばして読むことをお勧めします。

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グレッグ・イーガン 『ひとりっ子』(ハヤカワ文庫SF)
 インプラントや並行世界のアイデアをもとに「私は誰?」をつきつめて考えるという意味で、数学的なSFはもっとも哲学的なSFになる。テーマとして重なり合う短編の選択が、一読したときは全体としてやや変化に乏しい印象なのだが、一篇一篇をじっくり読み直せばその充実振りがわかる。あとがきにある「ネタばれ注意」の、そのネタのところがなかなか面白い。

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ダグラス・アダムズ 『ほとんど無害』(河出文庫)
 ついに「宇宙ヒッチハイクガイド」シリーズ最大の問題作にして最終作、翻訳が出てシリーズ完結である。これはオチについてあれこれいうとネタばれになるので、あとがきは決して最初に読んではいけない。たまたまイーガンのパラレルワールド哲学に翻弄された後に読んだのだが、こちらもパラレルワールドに踏み込んでとんでもない哲学になっている。が、まああのオチにいたるまで、あるいは読み進むにつれて、あれれちょっとこれは? という気分になるまでは、たとえばアメリカの占星術師とイギリスのジャーナリストのこんな会話を楽しめばよい。
「占星術が科学でないことぐらい、わたしだってよくわかってますよ(略)。ただの恣意的なルールの集まりだもの。チェスとかテニスとか、あれと同じーーーほら、イギリスでやってるあの不思議なあれ、なんて言うんだったかしら」 「クリケットかしら。それとも自己嫌悪とか」 「いえ、議会制民主主義だったわ。ルールはただそう決まってるだけなの。・・・」

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高嶋ちさ子 『ヴァイオリニストの音楽案内』(PHP新書)
 高嶋さんのブログが痛快で好きなので、この本も読んでみたのですが、期待にたがわず楽しい本でした。歯に衣着せずというよりは、何も飾らないでお人柄が素直に出てくる文章がよいのです。クラシックの名曲紹介、という、すでに沢山の本があるジャンルですから、屋上屋を重ねるようなものなら読みたいとは思わないでしょう。というよりも、結局素人にはよく理解できないような薀蓄話でもって紹介されてもネ、というのが素人の素人たるところです。でも高嶋さんの気さくな語り口にのせられれば、あれもこれも聴きたくなるのではないかと思います。蔭ながらご安産を祈願しております。

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水谷驍 『ジプシー 歴史・社会・文化』(平凡社新書)
 エスキモーが一概にイヌイットと言い換えられないように、ジプシーも単にロマと言い換えることはできない。インド起源でバルカンからヨーロッパ各地に広がった流浪の民、というのではあまりにも単純化のしすぎであり、厳しい差別と裏腹のロマン主義的な憧憬につつまれてきたジプシーの実像を、分からないところはそのままはっきり分からないとして受け止め、明らかにしていくことが望まれる。ジプシー像を現実に即して描きなおそうとする試みは、ジプシーを取り巻く人々の生活や心性を詳らかにしていくことにもつながるのが興味深い。

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斎藤美奈子 『モダンガール論』(文春文庫)
 『「月給百円」サラリーマン』を読んでいて、そういえばと思い出したのが本書。日本近代の女子学生、就労女性、主婦などの概念や生活実態や意識などを、当時の文献に丹念に当たって解き明かしていく。サラリーマンが多くは男性の様子を描くので、この二冊を並行して読むと、近代日本のフツーの生活が相補い合って見えてくるように思う。女性の就労や教育が、社会の側の要請と、階層によって異なる女性の側の欲求とのせめぎ合いを通じて、両者がたまたま同じ方向に向いたときに大きく動くこと、それにしても同じような言説が繰り返し立ち現われてはすりかわっていくことなどが、的確な資料を通じて著者らしい小気味よい語り口で明らかにされていく。2000年の発行で、2003年の文庫化に際して数ページの補足がなされているが、それにしても、2006年の現在読み直してみて見識の正しさは証明されていると思う。

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中島らも 『何がおかしい』(白夜書房)
 圧巻は評論「笑う門には」の未発表分も含む完全収録。他にも対談にコント集、ラストインタビューに、対談や歌を収めたCDまで付いている徹底振り。それにしてもこの本の感想も、なかなか書けなかった。中島らもの死のショックもあるのだが、笑いというものをえぐるほど描き出される差別について、著者はたとえば連載の第六回できっぱりと言い切っている。人間は自己救済のために笑う。だから、救われない存在である人間にとって、笑いは不可欠である。明快である。明快すぎて、もう何もいえない気分になる。このところテレビの中にはバカや貧乏を笑う番組が多いように思う。芸人の出てくるお笑い番組にも、どうもあまり笑えなくてうんざりしてしまうことも増えてきた。笑いのプロが極めるのとは違い、シロウトそのものやシロウト同然のバカや貧乏を見世物にするのは、どうしてもイヤな感じで、素直に笑えない。なぜだろう、と考えながら、この本を読んでいて、間違っているかもしれないけれどもひとつの結論が見えた気がする。つまり、おそらく笑いのプロは、生きるために欠かせない笑いを、笑いに欠かせない罪を自らの覚悟で背負って、私たちに与えてくれるのだ。その覚悟がないシロウトやシロウト同然の芸のない芸人に、無防備に差別の構造をさらけ出させる番組作りが不愉快なのだ。これを平気で笑っていられるだろうか。そしてその差別について、言葉狩りをして騒いでいるうちに、本当のことなんか言えない、言ったら殺される社会に僕たちは住んでいる。何がおかしい、って? うーん、確かに何かがおかしい。

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ナンシー関、リリー・フランキー 『小さなスナック』(文春文庫)
 中島らも死んじゃったなあ、なんて言っていたらそういえばナンシー関も死んでいた。別に、死んじゃったつながりで選んでいたわけではなく、この本は「要らなくなったんで御自由にお持ちください」という誰だか知らない職場の人の御好意コーナーみたいなことで拾ってきたのだ。生前は縁がなかったというか、たしか一回どこかで毒舌振りを耳にしてなんとなく引いてしまい、すすんで見たり読んだりすることがなかった。でもこのリリー・フランキーとの対談を読んでいて、ナンシー関の威勢が心地よく、なんか損した様な気になったものだ。なんていったら、死んでいる人みなそうなんだけれど。リリー・フランキーとの息の合い方は絶妙で、かつこんな対談が載っていたクレアって、ヘンな雑誌だったなあと思いつつ、調べてみたらまだこっちは死んでなかった。

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吾妻ひでお 『うつうつひでお日記』(角川書店)
 失踪日記が売れて少し貧乏ではなくなるまでの、2004年から2005年にかけての絵日記。どうしても仕事柄うつの様子が気になる一方で、豊富な美少女イラストも懐かしくもうれしく、読書日記の部分も気になって、読みながら何冊かアマゾンに注文していたりする。睡眠の不規則やアイスクリーム依存など参考になるが、その間もこの絵日記を書き続け、散歩したり同人誌の仕事したりして、きっとちょうどよい活動だったのかもしれない。断酒会の会長の通夜の精進落としのシーンが妙に気に入っている。

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クリストファー・バックリー 『ニコチン・ウォーズ』(創元推理文庫)
 ワタシも昔はヘヴィ・スモーカーだったが、もう何年も前に禁煙してしまった。タバコを吸いたい気持ち、やめられない気持ち、やめたくない気持ち、あれこれ言われたくない気持ち、などなど、いちいち思い当たるところがある禁煙者が、一番楽しめるのではないかと思った。ユーモアミステリの展開が実によくできている。タバコ・ロビイストの主人公、仲間は銃器と酒のロビイスト。まあ実のところハッタリかましていることは自分でも分かっていながら、生活があるから勝たなくてはいけないし、かます以上は勝ちたいし。そういう仕事人の心情もよく伝わってくる。夫婦、親子関係の難しさにもリアリティがある。それにしても身体中にニコチンパッチを貼って殺されそうになるというのは怖い。

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茂木大輔 『くわしっく名曲ガイド』(講談社)
「のだめカンタービレ」の指揮指導をしている人で、もともと楽器はオーボエだそうだ。ブログが面白いので、本も買ってみた。で、とても面白かった。TPO別おすすめの名曲とか、血液型・星座別おすすめとか、実にばかばかしいことを、大真面目に(でもないんだけど)やっているのでまず大笑い。しかしこれがなかなかの凝りようで、たとえばお目覚めとかデートとかのBGMというのは分かるけど「結婚にちょっと反対の、相手方のご両親にご挨拶の時」なんてどういうTPOじゃ、と突っ込みを入れて読むと、モーツアルトについてのちょっとした知識がつくという仕掛け。しかもこれが後のほうになると、ハイドンの交響曲、ドヴォルジャークの「新世界」、バッハの「マタイ受難曲」にそれぞれ一章を充て、まさに「くわしっく」ガイドする本格的な展開になる。あれもこれも聞きたくなる。あとちょっと面白いと思ったのは、CDにはさっぱりこだわりがない、ということだ。自分で生で演奏する人は、そういうものなのかもしれない。

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二ノ宮知子 『のだめカンタービレ 1〜16』(講談社)
若松公徳 『デトロイト・メタル・シティ 1・2』(白泉社)
 毎週月曜日、ドラマの「のだめカンタービレ」が楽しみでしかたがない。大好きな上野樹里はじめ、まあよく考えに考えたなあと毎回感心しきりのキャスティング。当然、原作も続きが楽しみである。さて他方、こっちはまずゼッタイにTVドラマにはなりえないのが「デトロイト・メタル・シティ」。もう全然笑い事ではないような展開に笑うしかないという魅力。さてこの音楽マンガ二本・・・というくくりが妥当かどうか、とにかくどちらもかなり面白く読んだわけだけれども、のだめがかわいいとか才能があるとかいうことはおいておいて、千秋へのアプローチにさらりと「変態」がでているところが興味深い。印象に残っているのは、風呂を覗くなと言われて靴のにおいを嗅ぐところである。だから見た目相当どぎついDMCよりも、そのエピソードだけでもかなりのだめの方がよりアブナイ匂いがする。というわけでどちらもやめられませんね。

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佐野洋子 『覚えていない』(マガジンハウス)
 あとがきを読んでいて愕然とした。「えー、もう私六十八だよ」・・・!!! 佐野洋子はもう六十八歳なのか! かつて「本の雑誌」でお見かけした頃、私はちょっとお姉さんくらいの印象だった。しかしまあ、私もそれだけ歳をとってはいるわけだが。さて電車の中で読んでいて吹き出して困ったのは「女の入り口」だった。あらためて読んでみると、けっこう男と女の話が多い。人間が一番こっけいになるのは、やはりそういう状況が多いようだ。

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山田史生 『寝床で読む「論語」』(ちくま新書)
 私はちょっと困っている。ある先生から頼まれて、儒教道徳を日本人のスーパーエゴと位置づける視点から書かなければならない原稿があるのだが、事はそれほど単純ではないのだ。儒教道徳といっても、一般には本来のソレとはだいぶ違った形でイメージされているので、それをワタシのごく自然な儒教理解と結びつけて論じるのはなかなか難しいのですね。一言で言ってしまえば戦前の「いわゆる儒教道徳みたいなもの」は、明治以降の天皇制を根拠付けるために都合よく援用されているわけで、最初は神道をどうにかアレンジして使えないかと工夫はしたもののしくじったために、結局それ以前に幕藩体制に利用されていたものを流用したわけだ。畢竟、儒教道徳の本来の姿からはだいぶ遠い。まあカンタンに言ってしまえば「エライヒトの言うことはだまって聞け」という程度の話だ。エライヒトが本当にエライヒトなら世の中うまくいくが、そうではなかったらろくなことにはならない。その程度の代物を儒教道徳なんていわれたんではたまらないわけだ。ちなみにそういうことも孔子は言っているのだ。だから何はともあれ、まず『論語』読むべし。たいして部厚い本でもない。あれこれ言うのはその後だ。『論語』といえば岩波文庫の金谷註が定番で、決して難解でないばかりかむしろこの一冊があれば一通り『論語』がわかる名著だが、本書は金谷解釈に時々たてつきながら、『論語』の読みをさらに味わい深いものにしてくれる。というわけでワタシとしては岩波文庫版『論語』、下村湖人『論語物語』、それに本書を加えて、論語読みの三種の神器としたい。これらを読んで孔子の人物像に迫り、実質のある「儒教道徳」を身に付けて欲しいと思うわけです。そうです、自分で、ね。

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岩瀬彰 『「月給百円」サラリーマン』(講談社現代新書)
 戦前の日本の普通の人の生活感覚をとらえるために、都市生活者の給料がいくらで、物価がどんな具合で、どんな生活をしていたかが、実感として分かるように調べられている。当たり前だが戦後復興とは「平和な戦前」を再現することであり、「昭和八年に帰ろう」がスローガンだったそうだ。だから戦前・戦後で歴史を切り分けるのは、生活感覚の実感としては必ずしも妥当とはいえない。このあたり、社会史的な見方を持つことは、歴史認識において重要だろう。  ああやっぱりな、と思ったのは、百円サラリーマンの時代に、軍人の給料は安かったんだということ。安月給でこき使われて面白くないから、自分たちが威張れる世の中にしたかったのだろう。こうしてみると、給料は世の中を見る上で最重要のカギだ。本書はそれに加えて、当時の雑誌の座談会など生の声を組み合わせて、いっそう世相が浮き上がる仕掛けになっていて、とてもわかりやすい。世相はいつの時代にも同じようなルサンチマンに満ちている。さてこの格差社会、大丈夫か。

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