バックナンバー(06年7月〜9月)




ジェイムズ・サーバー 『虹をつかむ男』(早川書房)
 サーバーの短編集はずいぶん昔、多分学生時代か就職早々に読んだはずで、「面白かった」と思っていた。ユーモア短編、という印象を持ったまま、今に至っていた。異色作家短編集のシリーズで新編が出ていて、「何か楽しめる本を読みたい」という気分のときに書店で見つけ、再読したその印象は、まったく違っていた。自分が現実に「中年男」になって、現実の結婚生活を生きていると、ウォルター・ミティたちの白昼夢が、とんでもなく「リアリティのある白昼夢」であることに驚くほかはないのである。あなたがちょっと、あるいはかなり疲れている中年男であるとしたら、この短編集は、毒にも薬にもなり得る。

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畑村洋太郎 『危険学の勧め』(講談社)
 「失敗学会」の立ち上げで知られる工学者が取り組んだ「ドアプロジェクト」の記録。六本木のビルで起こった、自動回転ドアに子どもが頭部を挟まれて死亡する事故をきっかけに、公式の事故調査とは別にあらゆる「ドア」の危険を調べる「ドアプロジェクト」が始まる。一年間の期限付きで、「責任追及」と混同されがちな「原因究明」に的を絞り、森ビルや三和シャッターはもとより、日産自動車、JR東日本、さらにダミー人形やドアクローサーのメーカーまで、たくさんの企業や個人が協力する「自律分散型」でプロジェクトは順調に進行する。NHKのドキュメンタリーでも放送されたらしい。簡単に思いつくような「危険」に対しては対策が立てやすいので、結果的に発生頻度は低くなる。しかしなかなか思いつきにくい、ありそうにない「危険」については、対策が立てられず、結果的に発生したときには取り返しがつかないことや、「10J則」など、門外漢にもなるほどと思わせる知恵や発見がある。事実にもとづいた知識は工学倫理にも大いに有効である。

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早坂隆 『世界の日本人ジョーク集』(中公新書ラクレ)
 疲れてくると笑いに関わる本をついつい買ってしまう。何よりの癒しである。世界を渡り歩くジャーナリストの視点だけに、コメントにも光る一言があったりもするが、とにかくジョークを楽しめる。ただし、オチが日本人になっていないものもあって、そういう場合はロシアがオチになっているのが多い気がする。まあこの本の内容はここで紹介するわけには行かない。私が気に入ったのは、ローマ法王に日本企業が「主の祈り」の日用の糧をスシに変えるように献金する話、豪華客船の沈没の際になんといって飛び込ませるかという話、あとサウナでアメリカ人と日本人とロシア人が・・・という話だ。お試しください。

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菅原伸郎 『宗教をどう教えるか』(朝日選書)
 私は倫理教育が専門である。高校「倫理」には、「宗教と人間」という内容がある。この扱いは、なかなか難しい。言うまでもなく、公教育では特定の宗教教育を行なうことはできない。「倫理」も主眼はイエスやゴータマの「思想」を読むことになる。しかし、カルト、靖国、イスラム原理主義など、宗教情勢を抜きにして「思想」を学ぶことには、とうに相当ムリが来ているし、オウム事件の折には、倫理教育が宗教カルトに対して何ができるかという疑問は、倫理教師の多くが自問したところである。私自身も、宗教教育ではない「宗教についての教育」のあり方を常に模索し続けているつもりだ。 近々、このテーマに関連した講演を引き受けたので、読み返してみたのがこの一冊である。新聞連載をまとめたもので、1999年の発行だから、9.11以前ということもあって、状況はだいぶ変わっているわけだが、今改めて読んでも、問題の所在にはそれほどの違いはないという感がある。ジャーナリスティックに宗教教育の現場を、国の内外を問わずに取材した仕事は貴重である。著者の冷静なスタンスが効いていて、この時代に、伝統の一端を担うのみならず、民族対立の火に注ぐ油として撒かれることすらある「宗教」の扱いの難しさと、人々の戸惑いが、よく映し出されている。話はそれるが、このような良書はいくらでもあるのだから、またぞろ新内閣が教育改革のためのナントカ会議を立ち上げたようだが、多士済々の委員各位も、せめて共通の本を数多く読み、共通の客観的データをじっくりと解析する作業を怠らないようにしていただきたいものである。酒場談義の教育論で役所が動くのは勘弁してほしい。

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P.G.ウッドハウス 『ウースター家の掟』(国書刊行会)
この夏はいろいろなことがあって、心休まる暇がなかったのだが、そんなときに無理にでも読み始めれば、気持ちがほぐれる、そういうシリーズがあったことは幸いだった。たぶん、ずっと後になって、この本を紐解いたときに、ああ、あの時はこれに救われていたんだなあ、なんて思うのではないか。というわけでウッドハウスの執事ジーヴスシリーズ。若い有閑貴族のバーティ・ウースターがドタバタ騒動に巻き込まれ、それを冷静な執事ジーヴスがスマートに解決する。短編も絶妙に面白いが、本書は長編で、しかもいったいどういう話なのかかいつまんで説明することができないほど込み入っていて、抱腹絶倒である。うーんこれは、読んでみて下さいとしか言いようがない。短編集『それゆけ、ジーヴス』や文芸春秋版の選集から入るのもおすすめです。

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黒野耐 『「たら」「れば」で読み直す日本近代史』(講談社)
終戦の季節の読み物が、今年もいろいろあった。北朝鮮のミサイル発射、首相の靖国参拝、昭和天皇発言のメモ、領土問題などをめぐる発言や行動、さらには事件の数々も、あえて不謹慎な言い方をすれば、色を添えたというべきか。「つくる会」の混乱、次期首相と目される人物の教育観にも不穏さを感じるこのごろ。さて、近現代史の教育をいかに行なうかというときに、心情論を排して歴史観醸成を促すには、実は「たら」「れば」の歴史教育はしばしば報告されてきたところでもある。本書は陸上自衛隊から防衛研究所戦史部研究官を務めてきた著者による、たいへん興味深い「たら」「れば」の試みである。日露戦争までの歩みにおいて国を支えてきた良識が、次第に崩れ去っていく一つ一つの選択が際立つ。何ができて、何ができなかったかがよく分かる。アッ、と思ったのは「日米共同の満鉄経営が実現していれば」という「れば」である。これは考えたことがなかった。やがて日中戦争にいたっては「たらればもない構図」に陥ってしまう。威勢のいいヤツに付き随っていく流れが起こってしまうのが一番怖いことにあらためて気づく。手のつけられない土石流みたいなものである。

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村瀬学 『自閉症』(ちくま新書)
あまりにもそっけないタイトルだが、「これまでの見解に異議あり!」という副題が重要である。長年自閉症者やその家族によりそって臨床にあたってきた専門家の見識と、あえていえば愛にあふれる著書である。自閉症に限らず発達障害を全体論的にとらえなおすこと、またこれまでの自閉症「論」の思い込みとそこから生まれてくる社会的な問題性が明らかになる。自閉症についての重要な一冊であるという以上に、発達障害の専門家「論」としても示唆に富む。

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野村総一郎 『「心の悩み」の精神医学』(PHP新書)
98年の本だから、もう古いといえば古いのである。でも読んでいてそれに気づくのは、SSRIがまだ認可されていないくだりくらいで、パニック障害、うつ、摂食障害、ボーダーラインなどの症例に即して語られる問題意識は、たしかに時代を先取りしていたのではないか。特に終章の現代社会分析など今日でも先鋭的。だから今でも版を重ねているのであろう。ずばり「ドクターショッピングは3回まで」なんて警句にはにやりとさせられる。

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スティーヴン・ミズン 『歌うネアンデルタール』(早川書房)
 病気療養中でくせになることといえば、NHKの朝の連ドラである。今回は戦時中の三姉妹の物語のようで、主人公はピアノを習いたかったが婚約者の家業と戦争と三つ巴でタイヘンみたいな話(端折りすぎですまん)。最近は長女の子どもたちがすごくかわいいのも楽しみだ。あと井川遥さん好きです。というのは本題とは関係ない。今朝の話はついにピアノ線が金属供出の憂き目に遭ってしまうのだが、直前に舞い込んだ「ふるさと」の編曲の仕事をこなして、隣組の組長とも一瞬の心のふれあいが生じるシーンだった。まあ実際の戦争を考えれば、大甘の展開だろうが、音楽って何かなあ、と考える余裕があるのは平和のおかげだろう。国歌論争でどちらの言い分を聞いても「歌を歌う」ということをカンタンに考えすぎていないか、と感じた不満は、今でも尾を引いている。そのあまりにも粗暴な単純さは、明らかに「敵性芸術」という阿呆みたいな仕分けを生み出した精神の貧困に通じている。
 さて前置きが長くなってしまった。著者はレディング大学初期先史学教授の認知考古学者。音楽と言語に共通の先駆である「Hmmmmm」があったとする仮説を提唱している。本書は、考古学、自然人類学、発達心理学、動物行動学、脳神経科学など、ありとあらゆる学問の成果を縦横に駆使して、人類の進化において言語、音楽、運動がどのように発生し変化してきたかを、解き明かしていく。著者は科学者であるから、根拠としてあくまで実証的な証拠を様々な分野から集めている。各論で証拠不十分と思われる場合はそのことが結論になる。大衆向けの本に見られるような都合の良い「証拠」の切り貼りではないから、量的にも内容的にも手ごたえ十分、かえって想像力をかきたてられる。言語や音楽に障害のあるケースから、それぞれの機能と発達上の起源を探っていくあたりから、まず引き込まれる。発達心理学や類人猿の研究や考古学的な証拠の数々も、知らなかったことだらけで面白すぎる。ネアンデルタールは「Hmmmmm」を発達させたままで姿を消した。現生人類は、ある段階からそれを音楽と言語に分岐させることになった。その証明の過程で、音楽の持つ力が再確認させられることになる。一緒に、同じ歌を歌わせようとする側はしたたかである。その怖さに対して無頓着なのは危うすぎる。

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J.G.バラード 『楽園への疾走』(東京創元社)
久々のバラードの翻訳である。このところ都市を舞台にした作品が続いていたこともあって、南海の孤島に自然保護の楽園を築こうとする人々の精神が崩壊していく設定は、かつてのディザスターノベルやヴァーミリオンサンズ物の雰囲気を思い出させ、バラードの近作としてはかえって新鮮味を感じた。カルトの狂気を描いたという意味では、テーマ的には現代的ではあるが新鮮味はない、とも言えてしまうかもしれないが、漠然とそこにある不安が具体的な破滅へと止め処なく転げ落ちていく凄惨な物語の運びは、読み手を巻き込む彼ならではのものである。

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サミュエル・R・ディレイニー、他 『ベータ2のバラッド』(国書刊行会)
若島正編のニューウエーブ中篇アンソロジー。これはNWのくくりに合っているのかどうかという疑問はあるのだが、ほとんどが未訳の、うわさの中篇がこういう形で読めるようになったことは素直に喜ばしい。タイトル作の面白さは間違いないが、私としてはやはり英国風の端正さで唸らせるロバーツ「降誕祭前夜」とカウパー「ハートフォード手稿」が圧巻だった。後者はそれに呼応するウェルズの「時の探検家たち」もいわばボーナストラックとしてついていて、後のタイムマシンとの比較も出来るのも一興。おおいに楽しめるアンソロジーだった。

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ジェフリー・A・ランディス 『火星縦断』(ハヤカワ文庫SF)
火星探査に訪れた一隊は離陸の手段を失い、打ち捨てられた最初の探査船を求めて絶望的な縦断に出かける。しかも仮に到達できたとしても、乗れるのは二人だけ。ストーリーの展開に応じて、一人一人の生い立ちがフラッシュバックするのだが、これがまた面白い。もはやいわゆる理系SFでも人間描写が甘いと通用しないと言ってよいか。それでもやはりこの火星の描写と火星探査のテクノロジーのリアリティは申し分のない凝りようだ。実際にNASAで火星探査にかかわっている物理学者というだけのことはある。

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朝倉久志 『ぼくがカンガルーに出会ったころ』(国書刊行会)
ヴォネガット、ディックはもちろんだが現代ユーモア小説の数々の翻訳で、もう何十年もお世話になっているといってよい朝倉久志が一度も外国に行ったことがないとは知らなかった。本書は小文集だが、ディックやヴォネガットをはじめとする翻訳書の「訳者あとがき」をまとめて読むという体験がまずは楽しい。翻訳が出るのを心待ちにしていたころを思い出す。翻訳者としての一つ一つのエピソードが、単に一読者としてとはいえ、黎明期からニューウェーブ、サイバーパンクと、海外SFを読み続けてきたこれまでの時代をともにしてきたことの感慨は深い。結局、なじめないいくつかの流れもあるものの、小学一年生のときにウェルズの「宇宙戦争」を読んで以来、一貫して小説といえばまずSF、という楽しみが持てて本当に良かった。

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アレステア・レナルズ 『カズムシティ』(ハヤカワ文庫SF)
イギリスSF界の俊英による長編翻訳第二作目、またまた文庫本で1100ページオーバーは寝転がって読むには不便だけど、内容の面白さで文句も言えない。設定上はたまたま同時並行で読んでいたディレイニーの「ベータ2のバラッド」にかぶる仕掛けがあって、混乱したりするのも不思議な縁。融合疫という前代未聞のウィルスに犯された異星の都市を舞台に、異形の生物ハマドライアドの謎、記憶に生起する伝説の宇宙船、複雑に入り組んだ登場人物たちが絡み合いながら展開するアクションは壮絶。巻末の解説で触れられるように、理系作家によるものでもこれはエンジニアリング・ハードだ。もっとも著者の専門は天文学らしいが。あらゆるSF愛好家をうならせるであろう満足の一冊。

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ブラッドベリ、スタージョン他 『地球の静止する日 SF映画原作傑作選』(創元SF文庫)
これはたいへん面白かった。SF映画の原作やノベライズは沢山あるが、本書収録の六篇中、初訳が五編という、編者の中村融のセンスが映える非常に興味深いアンソロジーになっている。古典中の古典『月世界征服』はハインライン自身による撮影始末記もあって興味深い。『地球の静止する日』はヌートのデザインからして原作とはまったく違うが、深みのある原作とかけ離れた映画も傑作だったという奇跡がどうして起こったのか、解説を読んでよくわかった。しかしなんといっても一番面白かったのは、『殺人ブルドーザー』。この重機オタクともいうべき描写は、まったく素人の自分が読んでも硬派の迫力。やはりこれを映画にするのは無理があったのだろう。改めてCGにまみれていない古きよきSF映画を楽しみたくなる一冊だった。

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チャールズ・ストロス 『シンギュラリティ・スカイ』(ハヤカワ文庫SF)
なかなか大部の、ハードな英国SFの新鋭の傑作。情報そのものを欲しがる「侵略」者と、辺境惑星の旧ソ連のような政権という設定の、あまりにも大胆なギャップがまずは度肝を抜く。物語は男女のスパイのアクションと恋愛もからんでスピード感にあふれ、結局一気に読み進んでしまう。科学的、社会的な設定の凝りようもさることながら、それでも良質の娯楽小説として思い切り楽しめるところがすごい。

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