バックナンバー(02年10月〜02年12月)




J.G.バラード 『スーパー・カンヌ』(新潮社)
 バラードの新作。最も洗練されたビジネス・シティと、その正気を保つために演出される狂気。読み始めてすぐに、最近の『殺す』や『コカイン・ナイト』と同趣向の作品であることに気づく。設定や展開は『コカイン・ナイト』をさらに巧妙に緻密にしたものであるが、テーマにせよ結末にせよ、ほとんどまったくと言ってよいほど同じなので、無意識にこれまでの作品を練習問題として本書を読み解こうとすることになる。それがどの程度、自分にとって楽しみであるかということは、本書の完成度の高さとはまた別のことである。

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安野光雅 『天は人の上に人をつくらず』(童話屋)
 童話屋の「小さな学問の書」シリーズの3冊目。本当に小さな本。これまでは日本国憲法と「あたらしい憲法のはなし」だったが、本書は安野光雅氏の力強いオリジナル・エッセイだ。キング牧師、リンカーン、そして福沢諭吉がとりあげられていて、「人権」について、それが語られた最も先鋭的な時代に触れながら、その本質を訥々と語りかけるかのように論じている。キング牧師の「わたしには夢がある」というあの演説を読むと、声が震えて、最後まで読むことができない、という著者にわたしも全面的に共感する。諭吉を引用しての「プライド」についての短い一節にも深く感動した。昨今あたかも侮蔑を込めて吐き捨てるかのように語るものさえいる「人権」であるが、そもそも人権は濫用できるようなものではないのであって、彼らが指摘しているのは「人権というコトバ」の濫用に過ぎない。ただのわがままを「人権」と言ってはいけないし、だからといってわがままをわがままとして糾弾しそこなった腹いせに、ここぞとばかり「人権」そのものを手前勝手にたたき出そうとしてもいけないのである。どちらも頭を冷やして(つまりまともにものを考えて)「人権」そのものに立ち帰ったところから再出発したほうがよい。

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ボブ・グリーン 『デューティ わが父、そして原爆を落とした男の物語』(光文社)
 エノラ・ゲイの機長、ポール・ティベッツ。広島に原爆を落としたとき、彼はまだ30歳だった。80歳を過ぎた彼は、ボブ・グリーンが育ち、両親が住む町で過ごしている。まだ駆け出しの記者だった頃、町でティベッツを見かけたと父親から聞いて以来、グリーンはインタビューを申し込み続けてきたが、20年以上もなしのつぶてだった。ティベッツと同い年のグリーンの父親が、やがて死の床につく頃、グリーンの第二次世界大戦についてのコラムを読んだティベッツとの交流が始まる。父親の最期の日々への寄り添いと、ティベッツとの交流の深まりとの二重奏として話は進む。  本書のテーマは、もちろん一つは戦争であり、原爆である。しかし、父親とは、夫婦とは、友人とは、そして題名どおり、仕事とは、義務とは何かを考えさせられるところも、同じ程度、あるいはむしろそれ以上にある。私自身が、そろそろ父親の老いに直面している。わたしの父親は従軍経験はなく勤労動員までの世代だが、グリーンが父親の世代に感じる思いに近いものはあるし、またグリーンの父親やティベッツからみた時代や若い世代への見方も共通しているかもしれない。また、グリーン自身の関心は『ホームカミング』と共通している。原爆にせよ、ベトナムにせよ、それがターケルの言うような「よい戦争」であるわけがないのだが、それにしてもそのそれぞれで自らの義務を果たしてきた、一人一人の兵士たちに、どのようなまなざしを向けるべきなのか、グリーンは常に考えている。  あまりにもたくさんのことを考えさせられる本だが、もちろんグリーンの人間への思いはあくまで暖かくかつ端正で、一流コラムニストの文章はさすがに読みやすい。敗戦の月にも開戦の月にもふさわしい一冊。

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椎名誠 『活字のサーカス』(岩波新書)
 家の近くに古本屋ができて、通り道なのでつい仕事帰りに立ち寄ってしまうことが増えた。駅の反対側にもさらに大きな、大手の古本屋チェーンの支店もできた。ちょっとこれには複雑で、読みたい本がたまに安く買えることは歓迎なのだが、新本と違って著者に印税が入らないから、あまり売れなさそうな本は特にであるが、なるべく新刊で買うようにしたいのである。それでいて、ちょっと読みたかったけれど買いそびれていたような本が安く出ていたりすると、もちろん買ってしまうので、なかなか気持ちが割り切れない。もともとは貧乏学生の世界だった(と勝手に思っているだけかもしれないが)古本屋が、こうした大手チェーン店の出現によって、いろいろな問題(もちろん、新刊書を万引きして古書店に売るなどというのは論外だが)をはらんできたように思う。  そんな悩める活字好きのわたしが、まさに活字モノの本書を古書店の100円均一ワゴンから拾い上げて短時間で読み捨ててしまう、という現象には、だから十重二十重に問題が織り込まれているというべきなのであるが、まあとりあえずは、身辺雑事にからめて気のついた一冊を紹介するというコラムだったらしいこの本を楽しみたい。古本屋でもめったにお目にかからないような一冊が多いのが特徴だからである。

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クリフォード・ギアツ 『解釈人類学と反=反相対主義』 (みすず書房)
 人文系の学問は世相に流されやすい。それをネタに、さらに流されやすい教育というシゴトをしていると、しばしばそれを痛感させられる。リベラリズムが反抗と正義を象徴していたかと思ったら、イデオロギーから自由になろうともがく人々を粗雑な保守主義が絡めとっていく。何か、うずまきの中でシゴトをしているような気になる。
 もともと興味のあった文化人類学を、少し詳しく読み込んでみようかと思ったのは、「現代社会」を教える上で必要だったからで、若かったこともあって当時はずいぶん実践報告などを発表していたものだが、全体的にはあまり盛り上がらなかったと思う。素人がやろうとすると、風物詩になってしまうからかもしれない、と当時は思ったのだが、むしろ突っ込むと倫理分野がやりにくくなってしまうからかもしれない、と今なら思う。愛とは、家族とは、なんてやっているよりも、兄弟多夫婚のインパクトは絶大である。そこから本質を探るのが面白いのである。文化相対主義も、当時は肯定的なキーワードだったが、実際には「相対主義」というだけでけっこう目の敵にされていたのかもしれない(ワタシは案外、そういう反応には鈍感で、文化ネタで報告を持っていくと珍しがられて重宝されているように思っていたが、実は慇懃無礼だったり妙に冷ややかな反応だったりすることに気づくのはずっと後になってからである)。
 そうこうしているうちに、世の中の風向きが変わってくると、文化相対主義に対する表立った攻撃が始まる。ワタシは授業ネタとして使える内容や使い方はほぼ満足のいくまで研究し、効果測定までやって論文もまとめたので、あとは実践の中で自在にしていたが、その後二回の改定で教科書の中の扱いもほとんどなくなってしまい、学問の内部でも「反相対主義」の嵐が巻き起こっていたのだった。その実際は、本書に詳しいが、相対主義を攻撃する意図がどこにあるのかをきちんと見極めれば、フィールドワークやモノグラフによりもなぜマニフェストやプロパガンダに耳を傾けてしまうのか、自らに問いかけるだけで反相対主義のいかがわしさには気づくはずである。あるアメリカの(イギリスだったかも)テレビ番組のなかの議論で、脳科学の発達によって人間性のすべてが解き明かされるだろうと楽観的なのがむしろ哲学者であって、生理学者や医者ははるかにシニカルだったのを記憶しているが、分子生物学や動物行動学からとてもシンプルに「普遍的真理」を導き出して「これで終わった!」と店じまいをしてしまうのんき者の底の浅さにつられてしまってはまずいだろう。あんた、それじゃ商売にならんよ!
 それにしても・・・、ギアツの日本での講演を中心に編集された本書の面白さは、ギアツの言い回しにも拠っている。これだけ深く広い見識と洞察、歴史的にも地理的にも縦横に飛び交いながら、常に今ここに収束する話題と問題意識、そこに緻密に綾なすユーモアに触れることは実に刺激的だ。ギアツの声に耳を傾け続けることは、楽しみながら冷静さを保つことの支えになる。

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椎名誠 『問題温泉』 (文春文庫)
 椎名誠の短編集。まず冒頭の「ブリキの領袖」は著者の面白さの素が凝集したような作品で、さらに自身による解説でいわばオチが上塗りされているという仕掛けつき。「考える巨人」などお得意の突き放しというかぶっ放しというかこの威勢のよい終わり方は大好きなのだが、「三角州」までくると、ちょっと拡散しすぎてしまう。反面、「狸」や「料理女」はこの終わり方ゆえにたいそうコワイ。「Mの超能力」、「じやまんの螺旋装置」、「アルキメデスのスクリュウ」にはのどかで郷愁というかアナクロな寂しさがある。

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コニー・ウィリス 『航路(上)・(下)』 (ソニー・マガジンズ)
 書店で突然この本を見つけた私は、本当に身震いしてしまいました。そもそもコニー・ウィリスの作品で面白くないわけはない、それが分厚い上下二巻のハードカバーで並んでいる! この至福! 即買い即読み、少しでも時間が空くと読んでいて、もったいないもったいないと思いつつ二日で読了。翻訳者の大森望をして、これまで自分が訳した40冊以上の作品の中で一番面白かったと言わせしめる作品です。
 主人公は、NDE(臨死体験)の心理プロセスを厳密に科学的に記述して研究している認知心理学者ジョアンナ。同じくこれを脳の機能として解明しようとする神経内科医リチャードと出会い、二人でチームを組むのですが、彼らが働く大病院には、臨死体験を死後生やら死者のメッセージやらいかがわしい内容で飾り立ててベストセラーを放つエセ研究家が多額の寄付をして入り込んでいて、ことごとく彼らの邪魔をします。二人は人工的に脳内に臨死状態を作り出す薬品を使って研究しているのですが、被験者不足に悩まされ、ついにはジョアンナが自ら被験者となります。さて彼女の体験は・・・。
 などと書いてみても、本書の面白さはさっぱり伝わりませんが・・・。登場人物が、脇役にいたるまですべていきいきと描かれ、エピソードの一つ一つも引き立っています。彼らが語るタイタニックや太平洋戦争のディテールがまたすごい。ジョアンナのキャラクターは、ウィリスを何度か読んでいる人にはおなじみ、揺れ動く人間味を備えつつ、何かに徹底的に打ち込むタイプ。ウィリスを初めて読む人もきっと、すぐにファンになってしまうでしょう(そうしたら、ぜひ『ドゥームズデイ・ブック』も読んでみましょう)! そして物語は、ユーモアとスリルをちりばめながら、謎解きの興味をぐいぐいと引っ張って行き、そして驚くべきどんでん返しを経て、感動のクライマックスへ・・・。絶対面白いです。しかも泣けます。

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中国新聞文化部編 『妻の王国』(文春文庫)
 どこでもあることなのか、うちだけなのか。夫婦や家族の揉め事というのは、気安く人に聞けるわけではないので、案外悩むことが多いのではないだろうか。アメリカのように夫婦カウンセリングの専門家がいる社会でもないし、第一、深刻なのかそうでもないのか、それすらも判断がつかない。そんな時に、この新聞連載のシリーズは、もしかすると頼りになるかもしれない。
 タイトルからも分かるように、記事のスタンスが、非常に純朴である。もちろんこの純朴さは、ジェンダー学やフェミニズムの文脈からすれば、いまどき何考えてるのだ的なもので、当然そのような立場からの反論も多く載せられている。しかし、実際の多くの夫婦や家族にはそうした視点がほとんど働いていないので(だからこそジェンダー教育が不可欠な現実があるのだが)、ありのままの様子や不満、とりあえずの対応策に、面白悲しいリアリティがある。そして、一番説得力のある乗り切り方は、話し合いが不調に終わりそうなら、とにかく夫が折れること。何かと考えさせられる一冊である。

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ロバート・J・ソウヤー 『イリーガル・エイリアン』(ハヤカワ文庫SF)
 作者お得意のミステリ仕立てのファースト・コンタクトもの。ミステリ仕立てと言っても、謎解きにはSF(「空想科学」)の常識が要求される(何と言ってもまず、異星人はアルファケンタウリから来たのである!)ので、SFファンにとって実に楽しい読み物になっている。ネタバレになってしまうのであまり書けないが、終盤の展開はさすがに意表をつかれ、「そんなのあり?」的なスケールの大きなオチになるあたり、いかにもソウヤーの持ち味である。

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R.A.ラファティ 『地球礁』(河出書房新社)
 ラファティのSFホラーではなくホラ話。ラファティは短編ホラ話もよいが、この長編ホラ話は、アイロニーが過剰なほど効いている。なぜかそこにいる異星人の一族と、アメリカの片田舎の山師たち。死体は口を利き、詩が人を殺す。あっけに取られているうちに、物語に歯止めは利かなくなり、世界は破滅に向かっていく。短編を読んだときには、アイデア一本勝負、思いつきで書いたのだろうと思いがちだが、こういう長編ホラ話は実に巧妙に組み立てられたものであることがわかるので、不世出のホラ吹きとしてのラファティの偉大さにすっかり感服させられる。

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宮沢章夫 『よくわからないねじ』(新潮文庫)
 電車の吊り広告を見て買う本はめったにない。しかしこれは、タイトルがひっかかった。「よくわからないねじ」。これほどひっかかるものはない。帰りに買って電車で読んだら笑いをこらえるのに死にそうだった。身の回りのちょっとしたことを取り上げては、思いつくままに深入りしていくパターンで、ベータのビデオや西新宿のレコードショップのネタなどにも思わずニヤリだが、とにかく笑いが止まらなくなってしまうところが多すぎる。作者の姿勢は、「格闘技の諸問題について」で、案外ストレートに語られているし、まじめに演劇論や美術評論になっているところも少なくないのである。でもとにかく面白いので、しばらくは同じ作者のエッセイを読んでしまうだろう。

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いしいひさいち 『現代思想の遭難者たち』(講談社)
 『現代思想の冒険者たち』の月報に連載していたものに大幅に加筆修正。あとがきにあるように「わからないまま哲学パロディを描くとどうなるか・・・さすがにそうもいかず」というところが圧倒的に面白い。「現代思想」などというものは思い切りのよい思い込みの集成みたいなものだから、これだけの種類の思い込みのすべてを「わかる」ことはもともと必要もないばかりか、まともな人間のすることではない。それでいて本書は、注釈とあわせてそれぞれの思想家像がたくみに切り出され、描かれていると思う。もちろん、読んでも現代思想の内容それぞれについてはやっぱりわかりません。キャラクターとしてはユング、レヴィ=ストロース、ドゥルーズ、ハーバーマス、エーコが気に入りました。

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エドガー・パングボーン 『デイヴィー 荒野の旅』(扶桑社)
 名作『オブザーバーの鏡』で知られる作者の64年作。『オブザーバーの鏡』と同様に、徹底的に人間性にこだわった作品である。核戦争後の地球を生き延び、自己実現していく少年の成長記録というところで、全体の設定も細部の描写も今となっては目新しさはまったくなく、工夫を凝らされた言葉遣いや性描写なども、むしろ格調高く感じるほどである。この大部で徹底的に饒舌に書き込んであるところが楽しめるかどうかというと、私にはちょっときつかったと告白する。同じ主人公でさらにクロニクルとしてシリーズになっているので、全体像が明らかになると、また受け止め方が変わるかもしれないが。

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