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最近の更新(11年6月〜12年9月)
☆このページは映画などの感想ですので、特に断りなくネタバレあります。悪しからず。☆

『ラバー』('10 フランス) 名前はロバート・・・何で? 理由はない。

 あーこれはダメだな、と見始めてすぐに思ったわけです。超低予算の不真面目な映画はわりと好みだけれど、最初に「理由はない」ことを説明しちゃったらダメなんじゃないか、と思ったわけです。ところが! 見ているうちに、あからさまにこれじゃダメだろ、と突っ込めるところがどんどんでてくる。話はアメリカの荒野を舞台にタイヤが連続殺人しちゃって、最後に某所を襲いそうになって終わる、というもの。無意味な設定や登場人物やシーンや展開がほとんどを占める。メタフィクション的な構造は今まであまり必然性を感じたことがなく、この映画でもいらねーだろこれ、と思わせる。細かいところもたとえば、タイヤが振り向くところで、転がっているくせに前後ろがあるんかい!みたいなネタは満載。しかしどの突っ込みどころも、もともとが「理由はない」と宣言しているのだから、文句が言えない仕組みになっている。まあしいて言えば、これネタバレすぎるかもしれないと一応断っておきますが、三輪車がロクサンヌ・メスキダの車と並んだところで、さてどうなるか? というところだけは緊迫感がありました。首がボンボン爆発するのでR15指定。ロクサンヌ・メスキダはすごくきれいだ。きれいと言えば映像がすごくきれいだなと思って観ていたのだが、デジタル一眼の動画撮影を使ったって本当かな? だとすればおそらく、小回りが利くので、何となく普段見ている映画とは視点が違う感じがしたのはそのせいかも。映画を作る人には、いろいろと示唆されるものがあるのかもしれないけど、単に映画を見る人である自分には、結局、面白くはなかったですね。

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『グッド・ウィル・ハンティング』('97 アメリカ) 音はいいけど匂いはね〜

 数学の天才だが不幸な生い立ちで自暴自棄な生活を送っている青年を、妻を亡くして荒んだ生活をしている心理学者が立ち直らせるという物語。マット・デイモンとベン・アフレックが脚本・出演。私はロビン・ウィリアムズが大好きなのですが、あるとき学生にこの映画のショーン先生に似てますねと言われた事があって、畏れ多くもかなり嬉しかったのがわれながらバカですね。心理学の試験前だったのでお世辞だったのでしょうが、しかしこの映画を見ていた学生さんがいたこと、しかもショーン先生が印象に残っていた学生さんがいたことは、それ自体なかなか嬉しいです。もちろん私はあんなに素晴らしい先生ではありません。丸くて無精ひげメガネな見た目が似ていたのでしょう。そういえば、ちょっといいですか、と言って顎をなでて「安西先生だ!」と言って走っていった学生もいました。何なんでしょうねまったく。ちっとも映画の感想になっていませんね。もちろんこれはいい映画です。でも実は臨床場面は今一つ、リアリティを感じないのです。一番好きなのは、アフレックがデイモンの家に訪ねてきて、彼が出かけたのに気づくシーンです。これはぐっときます。あと日本の配給会社は毎度毎度、よくもまあ余計な副題をつけてくれますよね。「旅立ち」って、オチじゃん。

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『川の底からこんにちは』('09 日本) 上がる上がるよ消費税/金持ちの友達ひとりもいない 歌も適当さが良すぎ

 オルニチンたっぷりとかいうインスタントしじみ味噌汁を試してみたらまずかったので、先日、ちょっと奮発して、大ぶりの大和しじみを買って味噌汁にしたら、むちゃくちゃ美味かったのだが、何か妙にシジミが気になったのは、この映画を見たせいかもしれない。満島ひかりはこの映画で監督と結婚しちゃったのがちょっといろいろとうらやましいやら何やらだが、まあとにかく面白かった。自分は中の下であると思いこんでいる主人公、ぱっとしない派遣社員を辞めて、父親のシジミ工場を継ぐことになったら、押しかけてきたのが5番目の男、子持ちのぱっとしない課長。すべてがずるずるとだらしなく引きずっている日常に淀んでいるが、そこから開き直ってシジミ工場を立て直す勢いが面白い。いちいちだらしない人々のだらしなさが、一つ一つはありそうでもこれだけ集まると超現実的になり、そこからの展開はもはや暴走としか思えないのだが、そこで起こっていることはやはりシジミを売っていることで、次の段階に進むわけではないのである。このふわりとした非現実性は、たとえば『罪とか罰とか』を思い出させる。たまたま「面白い映画」といわれてこの2本のDVDを勧めて、改めて観てみたら、なるほど自分はこういう話が好きなんだな、と納得してしまった。

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『英国王のスピーチ』('10 イギリス、オーストラリア) それにしてもエドワード8世といいチャールズ皇太子といい・・・

 ジョージ6世と、その言語障害を治療したライオネル・ローグの物語。アカデミー賞作品賞受賞。エピソードそのものが魅力的であるし、コリン・ファース、ジェフリー・ラッシュらの演技が素晴らしいので、ごく自然に楽しんだが、考えてしまったことが二つあった。一つは、ライオネル・ローグが正式な資格をもつ治療者ではないとしてジョージ6世から引き離されそうになるやりとり。私がカウンセリング心理学を大学院で学んでいたころに、臨床心理士の資格認定が始まり、そのときのいろいろないきさつが思い出されもする。臨床心理の公的資格がなく、それを関連学会がオーソライズしたわけだが、いまだ国家資格ではないのに定着した感があるのは、やはり斯界の実力者、故K氏の政治力だろうか。ちなみに私の出身大学院は、結局臨床心理士の資格認定から距離を置いているのが潔い。もう一つは、ジョージ6世のスピーチに「沸く」ラストである。英国王のスピーチを軸に没頭している自分が、そのラストシーンで、スピーチがうまくいってホッとして終わり、であったら、それほど印象に残る映画ではなかったかもしれない。見ている自分たちはスピーチの後の世界大戦の歴史を知っている。だから世界中のイギリス国民と、その他諸国民の運命が、映像と裏腹に重く垂れこめる。観終わった時はほっとした気持ちとどんよりした気分があいまっていて、この映画の魅力を最後に補強するのである。

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『原子力戦争』('78 日本) コレでテレ東をクビになったらしい

 田原総一郎の原作を相当アレンジして、黒木和夫が監督した、いかにもATG作品らしい暗さに沈んだ作品。福島原発を舞台に、事故隠しのために何人も殺されちゃうという、今見たらしゃれにならない設定だが、長らく絶版だったものがこの時期にDVD化されたのは、問題提起というべきか商魂というべきか。町中の「お食事と原子力みやげ」なんていう看板が痛々しい。主役のチンピラ原田芳雄の投げやりな振る舞いはいかにもだが、新聞記者役の佐藤慶がさすがに渋い。浜村純、戸浦六宏など、懐かしい役者が揃っているのがうれしい。山口小夜子はセリフも演技も異様に不自然だが、下8手というよりは存在感がありすぎ。とても原発技術者の妻には見えない、と思ったらやはり・・・。やくざの親分が阿藤快だったり、ういういしい風吹ジュンが可愛かったり。原発で勝手に撮影しようとして止められるところをはさみこんでみたり、音楽や音声に前衛的な雰囲気を出していたりするが、救いのないオチも想定内で、原発の闇の深さはこんなもんじゃなかったというべきか。

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『カリガリ博士』('19 ドイツ) 往年の名キャラクター、カリガリ君

 最近はちょっと新鮮味のなくなってきた某発泡酒のテレビCM、壇れいさんきれいだな、と思って見ていたが、あのセットで思い出したのがこの映画だった。もう話の筋も思い出せなかったので、思い立って借りようとしたらアメリカ版のDVDの中古が数百円だったので、結局買って観てしまった。なんと90年以上前の映画だったのだ、と改めて認識。当然白黒の無声映画で、映像もあまりリマスターされていなくて、雰囲気が昔のままでよかった。この映画の最大の魅力が、異形の書き割りのセットだ。今これを見たときに、見るに堪えないと受け止めるか、面白そうで真似してみたくなるか、どちらもありなのだが、後世に与えた影響が大きかったのは、その大胆な歪みや抽象化された描画の潔さからだろうか。どんでん返しの落ちは冒頭のシーンで予定されてはいるものの、起伏とそれなりの整合性があるおどろおどろしいストーリー運びも面白い。ドイツ表現主義映画の傑作といわれても、ドイツ表現主義がよくわからないのでピンとこないけれど、これを見るときのちょっと胡散臭そうな分かえってわくわくする感じは、ちょうど映画の中の見世物小屋に入る村人たちの気分に似ているかもしれない。こうなると次は『メトロポリス』の復元版も観たくなっちゃうな。

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『過速スキャンダル』('08 韓国) 韓国では花闘っていうんだ、と調べてしまいました

 一言で言ってしまえばタレントの隠し子スキャンダルなので、ありふれた話のようなのだが、一人暮らしの遊び人DJのもとにやってきたのは、愛人と子供ではなく、娘と孫、自分が中三の時に関係をもった高校生が生んだ娘が、高一で生んだ男の子を連れてやってきたという設定で、独身タレントがいきなりおじいちゃんになってしまったというわけ。設定の面白さは、娘役のパク・ポヒョン、孫役のワン・ソクヒョンという、フレッシュな親子コンビの達者な演技によって、ユーモラスに仕上がっていると思う。

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『ハッピーフライト』('08 日本) 結局は業界の裏話は面白いということ

 若手から中堅の達者な役者がそろって、全日空の手堅いバックアップのもと、万が一の非常事態にも要所要所を固めて、空港の人々はこんな風に働いているんですよ、みな一丸となって乗客の安全を守りますよ、という、安心して楽しめる映画である。でも、そういう映画になっちゃっている、という物足りなさはあるのである。矢口監督作品というと、どうしても「ウォーターボーイズ」や「スイングガールズ」のイメージがあるので、頑張って何かできるようになっちゃった的な裏ドラマを期待してしまうのである。でも確かに、何となく見てしまったのに、楽しんでしまったのは、出演者たちやおそらくはスタッフたちが、自分たちも初めて知ったこの業界の面白いところを、観客にも面白がってもらおう、という気持ちに満ち溢れていたからではないかと思う。

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『プラン9・フロム・アウタースペース』('59 アメリカ) 誰もが自分でもう一つ前説を付けたくなる映画

 夏休みはついついSFファンの血が騒いで、普段抑えているSF小説やSF映画に手を出してしまうのだが、今年は残りのギャラクティカを見るのは予算と時間の都合で我慢している。で、見たのがコレというのも、やはりどうしても見ておかねばならぬというひっかかりがあったからだ。もうやっぱりこれは噂どおり、伝説の映画監督エド・ウッドの作品として、かの『死霊の盆踊り』(こっちは製作と脚本のみだが)に匹敵する、いやなまじ真面目な文明批判的な視点を入れようとしたがために、さらにとんでもない代物となっていた。地球人が宇宙を破壊しかねないのでそれを止めようと宇宙人がやってきた、というのがストーリーの基本。なのだが、えらくちゃちな円盤に乗ってやってきた皇帝他2名の隊員は、アメリカの田舎町の墓場に潜んで、3人ほどの死者を蘇らせ、留守宅の美人妻を襲ったりさせるという、えらく貧弱な任務に奔走する。しかも美人妻にはあっさり逃げられるわ、皇帝に見せに連れてきたゾンビに自分が殺されそうになるわ、大真面目なドタバタが繰り広げられる。で、なんで地球人が宇宙を破壊してしまうかというと、まだ開発されてもいないソーラー爆弾とやらを使うと、太陽が破壊され、それで宇宙も破壊されちゃうらしい(どういう理屈だ)。連続するシーンで昼と夜がめまぐるしく切り替わるとか、ペカペカであまりにも安っぽいが一応は円盤の目撃者が、次のシーンできっぱりと葉巻型だったとわざわざ言うとか、細かい(普通の映画だったら「細かい」どころではないレベルだけど)ことを気にしだしたらきりがない。この映画と監督に関する笑える、もしくは笑うに笑えないエピソードは、ググればいくらでも出てくるが、とにかくこれが本人の自信作だったということにまず驚くし、まったく売れずに、以後の転落につながっていくことが、当然と言えば当然だが、何故その分かりきったことに気づかなかったのかということに驚く。でもまあ、芽も出ないのにいつまでもこだわっているってのは、自戒も込めてこういうことなのだろうなあと、痛々しくも思い知らされるという意味では、このとんでもないZ級映画に、人生を感じるといえないこともない。というわけで、近々映画『エド・ウッド』も見るつもり。

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『ビルとテッドの地獄旅行』('91 アメリカ) 足が臭いヤツとはやりたくないあのゲーム

 『サンダーパンツ!』『キャプテン・ズーム』と、子供が活躍するSFコメディを得意とするピーター・ヒューイット監督の、ドタバタSFコメディ。今をときめくキアヌ・リーブスが単なるバカな若者を演じているというのが話題。同じキャストの前作があって、監督も違うので、後先になるがそちらもいずれ見ておきたいとは思うが、本作だけを見た限りでは、まあ笑えるけど、小話のつぎはぎになってしまっていて、バカが歴史を変えるという大筋部分に説得力がない。少なくともこの映画だけを見たのでは、ビルとテッドがそれほど徹底的にバカではないというか、ほどほどにダメな程度にしか思えないのだ。たとえば、死神を丸め込んで生きかえるというエピソードに、二人のあまりのおバカさに死神が意表を突かれるという展開を楽しみしていたのに、これはないだろう。というわけで騒々しいが見終わってむなしい感じ。プライマスなどがちらりと出る。

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『容疑者Xの献身』('08 日本) 小説やテレビの映画化、単独で見ると?

 私は原作も読んでいないし、関連作品も見ていないので、純粋にこの映画を単品として見ることになったわけだが、率直な感想は、どこが見せ場だったのかわからない、ということに尽きる。堤真一と松雪康子の演技が良いのは間違いない。堤は天才的な数学の先生のイメージにはなかなか重ならないし、今ひとつ思いつめる過程に納得がいかないのだが、鬱屈した重さが漂う役作りはすごいと思ったし、松雪は妖艶なイメージだがこちらも薄幸そうな雰囲気が良く出ていた。しかしその分、追い詰める側の福山雅治と柴咲コウの印象があまりにも薄すぎる。そのほか気になったところがいくつかある。物理学者と数学者の対決というには物理学と数学はあまり関係がなく、最初のシーンの話と本題がどこかでつながってスゴイ話になるのかと、勝手に思い込んでいたら肩透かしを食らった。ベンチにいた人がいなくなっているのに気づいて、これはきっと何かあるな、と思ったら、案の定だった。雪山のシーンが何のためにあるのか良く分からない。などなどであるが、気になりながら最後まで見てしまったところは、造りの上手さなのかもしれない。原作を読んだ人や、テレビシリーズを見た人には、案外評判がよいようだ。

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『キャプテン・ズーム』('06 アメリカ) いちばん欲しい超能力は・・・テレキネシスかなあ

 傑作『サンダーパンツ!』の監督ピーター・ヒューイットによる、子供ヒーローもので、なかなか楽しかった。かつてのスーパーヒーロー、キャプテン・ズームは、コミックのヒーローにもなったが、強化策として照射されたガンマ線のせいで悪者になってしまった兄を失い、ショックで引退していた。しかし、特殊機関がその兄が異空間から戻ってくることを察知し、嫌がるズームを呼び戻し、超能力のある子供たちのチームを訓練させる、といったような話。特殊機関は、子供たちの能力を高めようと、またもや危険なガンマ線を照射しようとし、それを知ったズームは子供たちを守ろうとするいっぽう、兄との対決は・・・、と、なかなか凝った展開なのだが、兄との対決が今一つ盛り上がりに欠けるので、見終わったときの充実感にはやや欠ける。しかしコミカルなシーンがそこそこ楽しめるのと(空飛ぶ円盤でウェンディースのドライブスルーに行くやつとか)、子供チームのライアン・ニューマンがとにかくかわいいので、私としてはじゅうぶん埋め合わせになっている。それにしてもガンマ線を照射するとリスクはあるが強力になるなんて、原発事故後に見ていると、放射線の人体に対する影響評価をめぐる論争のパロディのようで、何とも皮肉な印象である。

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『東京原発』 ('02 日本) 今からだと作れなかっただろう

 福島原発事故の後に、9年前に造られたこの映画を見ているというのも、全くシャレにならないのだが。都知事役の役所広司はじめ有名な俳優が並んでいるが、室内劇の部分が多いので予算をうまく使ったのだろう。題名から想像されるように、理論的な部分は広瀬隆の『東京に原発を!』がベースになっているようだが、ドラマ的には実は都知事があんがいカッコよく描かれていて、だからこそ都庁を使えたのかなと勘繰らないでもない。ブラックユーモアの濃い、面白い作品には違いない。それにしても、フクシマから約4ヶ月経ってこれを書いているのだが、映画で描かれている傍観者や忘却のこと、いちいち当てはまって厭になる。これだけの役者をそろえていながら、当時でさえ公開にこぎつけるのが大変だったらしいが、このところの政官財一体になって原発がないと大変なんだぞ、反=反原発キャンペーンはすさまじいものだ。発電量に関して言えば原発はいらないというのはごく当たり前のことなのだが。このきっかけを外してどうするのだ。

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