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バックナンバー(09年06月〜7月)
☆このページは映画などの感想ですので、特に断りなくネタバレあります。悪しからず。☆

『スターシップ・トゥルーパーズ』('97 アメリカ) 挟んで切って刺して吸って

 ハインラインが50年も昔に書いたSF小説を、敢えて今、映像化することの意味がどこにあるのか。見るまではまったく分からなかったが、見てみると、これがとてもよくできているのだ。軍隊の雰囲気にアナクロニズムを感じさせつつ、未来社会を描き、愛や友情や勇気を素朴に(もしくは皮肉に)誇張しながら、CGで実現した激しい戦闘シーンを楽しませる(だって銃撃ですよ!)。けっこうな血飛沫とちょっとの裸も、不思議とあっけらかんと流せてしまうスピード感に満ちていて、『宇宙戦争』でもなければ『スターウォーズ』でもない、50年代の雰囲気を馴染ませたからこそできるありえない未来の戦いの映画を、巧妙に作り上げた手腕には驚嘆する。

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『モンスーン・ウェディング』('01 インド) けっきょくお父さんはがんばっている

 同じ監督の『その名にちなんで』がなかなかおもしろかったので、こちらにも挑戦。不倫や小児愛など深刻なテーマも入り込んでくるのだが、話の流れは親同士が定めた二人の結婚式までの数日間のドタバタを描いた、家族の物語である。監督の出身地であるデリーのパンジャブ人コミュニティが舞台。伝統的な民族の風習やメンタリティと、現代社会のそれらとの間の相克はごく日常的にあるし、一同にも印僑は多くアメリカやオーストラリアからやってくる。歌や踊りにも現代風の響きもあれば伝統もある。ひとつひとつのエピソードの軽重の落差に戸惑うのだが、監督の目線では同じ高さでおこっている出来事なのかもしれず、その混沌に巻き込まれる。美しい女性にも幻惑させられる。この快感に浸ることができれば、この映画は面白かったということになる。

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『青い車』('04 日本) ひたすら退屈な道

 だって、ARATA、宮崎あおい、麻生久美子ですよ。期待して観たのです。出だしの思わせぶりなシーンは大いに期待させるのですが、ARATAがどうしてあのような怪我をして、リスカして、なんとなく宮崎あおいと寝てしまうのか。その宮崎あおいもあのかわいい笑顔のまま麻生久美子にARATAと寝たことを言ったり、SEXしようと言うのか。麻生久美子が死んでしまう(!)以外、大したことも起こらず、何も良くもならず悪くもならない。まあそういうものだというのならそういうものであえて映画で見たいとも思わない。え、これで終わり?という驚きもなく、あ、これ、このまま終わっちゃうんだろうな、と思ったとおりに終わっちゃう。つまらなかったけど、きっとこれはもったいぶって作ったからこうなったのではなく、原作を壊さないように映画にしたらこうならざるを得なかったのかもしれない。いまのところ、麻生久美子出演作では一番のガッカリだが、いやまだあの迷作が残っている・・・。

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『ゆれる』('06 日本) いつまでもとまらない

 話題の監督、話題の作品だけに、楽しみに見た。確かに、映画の快楽にどっぷりと浸かることができた。言葉は多すぎず、映像は緻密で美しく、役者も香川照之、オダギリジョー、真木よう子をはじめとして、見事にはまっていた(検事役の木村祐一だけはいただけなかったが)。
 なかなか感想がまとまらないのは、引っかかるものが多すぎるからだ。以下、かなりのネタバレな感想になるので(お断りしてあるページとは言えここまでネタを挙げるのは避けているつもりだが、この映画の場合ネタに触れないと感想の書きようがない)これから見るかもしれない人は読まないように。テーマは親子二代にわたるカイン・コンプレックスとすれば、図式的すぎるのだがそういうことなのか? 靴が川を流れるシーンなど、巧いのかわざとらしいのか、あるいは、あえてのわざとらしさなのか? 最後のシネパラ風の展開場面で、これで弟は泣いて車に飛び乗って・・・それでいいのか? だが、その一気にほどけた様なねじれは、最後の瞬間の兄の表情によって、もう一度、絡まるのだ。記憶の曖昧さなのか、捏造なのか、あるいは最初から記憶は存在しなかったのか(そう思っていたのだが違うのか)? 
 ・・・だから、ものすごく勘違いした見方をしているかもしれない。そういう不安もまた、映画の快楽なのだが、そうするとまた、あまりにもこの映画のタイトルが巧すぎる・・・。

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『ハイスクール・ミュージカル/ザ・ムービー』('08 アメリカ) 歌って踊ってハイ卒業!

 アメリカのディズニー・チャンネルで大ヒットした青春ミュージカルドラマシリーズがまずあって、舞台版が作られ、最後にこの映画版が作られたという、普通のディズニーとは逆ルートをたどった作品なのだそうだ。普段ならまず見ることがないのだが、息子が英語の教材に取り上げられたのをまた見たいというので付き合ったのだ。私のようにテレビシリーズを全く見たことのない者でも、一応、話についていけるようになっているが、それはもちろん、もとの話がそれくらい単純だということでもある。卒業記念ミュージカルの上演、大学進学、プロムと、あるべきものがすべて出そろって大団円。一緒に見ていた妻のひとこと、「ビバヒルよりはかなり健全な高校生活よね」に尽きているかもしれない。ぽかんと口をあけて、自分にはあり得ない(あり得なかった)高校生活の夢にしばし浸るのも、まあ悪くはないよね。

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『今宵、フィッツジェラルド劇場で』('06 アメリカ) 神様が本当は女から男を作ったという真相がここに

 ローカルラジオ放送のライブショーが、劇場と局の売却が決まって最後の夜を迎えている。その生放送の様子を伝える構成。顔なじみの出演者たちの阿吽の呼吸、舞台裏のさまざまな騒ぎをよそに、ショーはいつものように、スポンサーのCMを挟み込みながら坦々と進んでいく。テキサスの事業家、謎の白いコートの女を巻き込みながらも、ライブショーはやがていつものように終わり、劇場は解体されていく。ラスティとレフティ(だったっけ)の下ネタカントリーソングにはかなり笑った。司会役の人は実際にラジオで活躍していて、番組もフィッツジェラルド劇場も実在するというから、虚と実のない交ぜ具合もまた興をそそる。曲者ぞろいの出演者の中で、リンジー・ローハンが浮いているのはあまりにも明白なのだが、案外メリル・ストリープも馴染んでいない感がある。ラストシーンの意味をいろいろ考えるのも楽しい。

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『夕凪の街 桜の国』('07 日本) 命を伝えることと長生きしてねという願いを伝えること

 あえて最初に不謹慎なことを言えば、前半は麻生久美子、後半は中越典子が、とにかくキレイです。さて、原作はたいへんよく知られたコミックスで、いろいろな賞を受賞したようです。わたしはその原作を読んでいないのですが、広島の原爆症に苦しめられる3世代の物語です。麻生久美子の死期を悟った時の独白には、恐ろしいほどの力強さがあります。原作の雰囲気を丁寧に生かそうとした誠実さが伝わり、そのメッセージもしっかり感じられ、考えさせられますが、映画として見たときには、画像にせよキャラクターにせよ、原作を尊重するあまりに、作られすぎのように見えることも時折あって、やや入り込みにくいというのが正直なところです。そうはいっても、この原作の伝えたいことをきちんと伝えたいという切実な思いは、よく果たされたのではないでしょうか。役者では堺正章の存在感が今ひとつ。

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『ぼくの大切なともだち』('06 フランス) ここにもミリオネア

 中年の骨董商が仕事仲間と賭けをする。10日以内に「親友」と呼べる友達を紹介することになった主人公は、自分では親友がいると思っていたのに、相手はまったくそう思っていないことに、次々と思い知らされる。仲の悪い娘と一緒に乗ったタクシー運転手の青年との出会いが、友達作りの道を開くように見えるのだが、結局それを台無しにしてしまう。友達がいないのにいると思っている主人公は、痛々しいのだが、滑稽さが憎めないところもある。博覧強記なのにあがり症でクイズ番組にでられない青年にも、気の毒な過去がある。二人とも、それぞれに、恥ずかしさを曝すことから、一つ先に進んでいく。

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『たみおのしあわせ』('08 日本) かっこわるすぎる父子をかっこよすぎる二人が

三木聡つながりで見た岩松了監督のこれは、けっこう面白かった。女医の妻を亡くした男を原田芳雄、彼は職場の女性(大竹しのぶ)と付き合っている。その息子がオダギリジョー。息子は見合いをして、麻生久美子演じるなぞめいた美女との結婚が決まる。亡妻の弟(小林薫)がやってきて、家でおかしな商売をしていたりもする。結婚式当日、父と息子は逃げ出していく。そんな筋で、おかしな話だ。でもラストシーンのファンタジーが謎解きになっているとすれば、言いたいことはすっきりとわかった話になってしまう。そのあたりをどう解釈するかが、見る側に任されているということだろう。

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『インスタント沼』('09 日本) まるで色気を出さないハナメの案外な現実性

 三木聡監督、麻生久美子主演の話題作、観に行ってきました。いつもながら三木組の本領発揮で、ありとあらゆるところに完成された遊び(というのは自己矛盾だがあえて)が充満している。オチももともとの発想がソレなんで、ちょっとそのまんまなのがアレという気もしたり、麻生のテンションの上がるところはちょっとやりすぎではという感じがあったりするのだが、そのあたり監督の意図を知りたくてきっとDVDが出たらまた見ちゃうと思う。父親に風間杜夫、母親に松坂慶子。脇もいつものメンバーが楽しませてくれる。ワタシはやっぱりふせえりが大好きだ。チョイ役にも「折れ釘を買っていく客」に石井聰亙(!)とかびっくりである。もっとも感動したのは「池から引き上げられた郵便ポストの中の郵便物を乾かすために並べているところを引くとピカソのゲルニカになっている」ところと「宮藤官九郎がすごく普通の芝居を上手にしている」ところでした。何だかよくわからない感想ですが、まあそういうことで、とにかく面白かったな、と。しかし前の席のおとうさんは途中で帰ってしまったな・・・。

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『デイブは宇宙船』('08 アメリカ) 3号はセクシー

 エディ・マーフィーモノだが日本では公開されなかったらしい。あまりにもばかばかしくて当たらなかったということだが、いやーあまりにもばかばかしくてすごいじゃないですかこれは! なにせ、エディ・マーフィーそのものが宇宙船で、中にエディ・マーフィーが二役(というのかな)で隊長をやっているちっちゃな宇宙人たちが乗っているわけです。彼らは地球の塩を奪うためにやってきたのだが、海水を吸い上げる機械をたまたま拾った少年とその母との出会いに、次第に心引かれ・・・という話。耳が開いて宇宙人が出てきたり、口の中を掃除しているのにお酒飲んだり、ホットドッグの大食い大会で優勝したあとのトイレの様子とか、なにやらかにやら、くだらないネタのオンパレードで息つく間もない。ワタシはかなり笑えましたよ。

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『歌わせたい男たち』('08 日本) 屁理屈には脚色してません

 これ、立場上はとても笑えないんだけど、正直に言えば、かなり笑いました。作・演出永井愛、二兎社による紀伊国屋ホール公演の録画。主演の戸田恵子はシャンソン歌手から都立高校の音楽の非常勤講師になったばかり。ピアノが苦手なだけでなく、めがねを忘れてしまった卒業式当日の彼女の周りで、保健室を舞台に、君が代不起立を貫こうとする社会科教師、なんとか八方丸くおさめて平穏無事に式を終えたい校長、積極的に不起立者を糾弾する英語教師、ちょっと突き放して見ている養護教諭が、リアルすぎて笑えない、けれどリアルすぎるゆえに笑っちゃう、ドタバタを繰り広げる。結局どうなったのか、さまざまな可能性と割り切れなさを観客にゆだねて幕を閉じる。脚本は緻密に取材して作られたものと思われ、じっさいこのリアルなドタバタがいかに演劇的であるかを浮き彫りにしていると感じられるできばえ。なにかやることになったらどんなことをしてもやってしまうための「作文」(フツーの感覚ではクソも一緒に出たような屁理屈という)をでっち上げるお役人のお手並みも、いつのまにか自己目的化していく(させられていくんだけどとめられないということですが)アンチの立場のむなしさも、よーくわかる。

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『転々』('07 日本) ダルマをなくした人は大丈夫だったのか

 ついつい『時効警察』まとめ見してしまった後では、しばらくはぽちぽちと三木聡つながりで映画を見てしまうだろう。これも監督三木聡、主演オダギリジョー。岩松了、ふせえりも松重豊と3人組でスーパーの社員役で寸劇を挿入するし、笹野高史、広田レオナ、吉高由里子などの顔ぶれも。小泉今日子がスナック「時効」のママだったり、麻生久美子が駐車違反の取締りしていたり。ストーリーは、学生のところに借金の取立てにやってきた男が、なぜか自分と一緒に東京を散歩すれば100万円くれるという。その道中を描くということで、これもロードムービー。三木聡らしいギャグやエピソードも面白いが、やはり藤田宜永原作の筋が確かで、しみじみとさせ落ち着きどころのある映画になっている。三浦友和、オダギリジョー、小泉、吉高が一時、擬似家族になる終盤のせつなさは、わかりやすいけど、いい。

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『プリティ・ヘレン』('04 アメリカ) あれで校長はないな

 バースデーパーティーでDEVOの "Whip it!" で踊るシーン、あのヴィデオクリップが忘れられない私としては、これでこの映画にしっかり捕まってしまった。しかもこの歌はけっこう重要な意味を持っているのだ。それにケイト・ハドソン。昔、ゴールディ・ホーンが好きだった私としては、もうたまりませんね。ストーリーは他愛のないもので、独身生活を楽しんでいたヘレンが、急死した姉夫妻の3人の子どもを育てることになるというドタバタコメディ。子どもたちの学校探しをしていて、通りかかったルーテル会の学校に入れてもらおうと、必死にルター派の振りをしようとしたり、異教徒対抗アイスホッケー大会なんてのがあったりという宗教ネタも、かなり面白い。子どもたちの反抗もなんとかやりくりがついて、悪い人がほとんど出てこないままのハッピーエンドは予想通り。ところでこの映画が公開された2004年、ケイト・ハドソンが実際に母親になっているのもめぐり合わせか。

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