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バックナンバー(09年03月〜05月)
☆このページは映画などの感想ですので、特に断りなくネタバレあります。悪しからず。☆

『時効警察』 ('06 日本)、 『帰ってきた時効警察』 ('07 日本) グッズ買いそびれました

 ゴールデンウィークにまとめて観ようと思って借りて、DVD10枚全18話、すっかりはまりました。時効管理課という、単に時効になった事件の書類や遺留品を処分する架空の部署で、ぽつねんとあだ名されるほど頼りない職員の霧山(オダギリジョー)が、無趣味を責められて思いついたのが、時効になった事件を趣味で解明するということだった。彼のことを憎からず思っている交通課の三日月(麻生久美子)がそのアシスタント役を務める。毎回犯人役をはじめとするゲスト、時効管理課の個性豊かな面々、霧山と同期の十文字刑事その他、顔ぶれも豪華。麻生久美子をよく知らなかったので、なんとなく後回しにしていたのですが、かなり惚れましたね(でも結婚しちゃったんですよね・・・だからどうってことないんですけど)。三日月しずかのキャラクターがあまりにかわいいので、それだけで幸せになってしまいます。小ネタに凝りすぎてやりすぎな感じのときもありますが、役者やスタッフの息の合い方を楽しんでいるようなところがこの種のドラマの醍醐味で、三木聡はじめ課長役で出演もしている岩松了、ケラリーノ・サンドロビッチ(緒川たまきと結婚したんですよね・・・)、果てはオダギリジョー自身など、これまた異色の監督たちが交代でメガホンを取っているのも見所。ヒットしたシリーズにはそれだけのものはあると思わされました。特典映像もいろいろ楽しいが、なかでもケラのバンドのライブに犬山イヌコ(多め亭&早め亭のおばさん役は名演)と制服姿の麻生久美子(犬山イヌコ作詞作曲の、ドラマの中で歌う歌を披露)がゲスト出演したものなどは必見の面白さ。

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『ホリデイ』 ('06 アメリカ) とりかえっこ好きの英米文化

 たまにはかなり普通の映画が見たくなる。それで選んだのがこれ。それぞれ振られたりケンカしたりで傷心のアメリカのキャメロンディアスとイギリスのケイトウィンスレットが休暇の間家を交換したら、それぞれそれなりの出会いがあってめでたしめでたしという、いたって他愛のない話。まあ新聞社づとめでえらく田舎の小ぢんまりした家に暮らすケイトには親しみがもてるが、キャメロンはいったいこのヒトは大丈夫なのか?という印象だ。女性の観客を最初から当て込んでいるようなあざとさがちょっと臭う気もする。

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『デトロイト・メタル・シティ』 ('08 日本) プログレの入り込む余地はない

 これが実写版の映画になると聞いて、もともとNGワード連発でどうするのだろうと思ったが、さすがにそつなくまとめられていた。松山ケンイチは好きなのだが、クラウザーさんをやっているときはともかく、根岸君はちょっと・・・。いくらはじけていても、全体の雰囲気がどうしてももっさりしていてぴんとこない。ストーリーは前半のテンポがイマイチでハラハラしたが、次第によくなる。加藤ローサがかわいいが、Sに徹した松雪泰子がすごくイイ! ジーンシモンズがおっさんになっていた。しかし続編があったら見るかというと、ちょっとどうかなという印象だ。続けて見た明らかに低予算の『ピューと吹く!ジャガー』と比べると、丁寧に作られた分、かえって物足りなさを感じてしまう。

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『ピューと吹く!ジャガー THE MOVIE』('08 日本) なぜ忍者なんだ?

 息子が買ってくる少年ジャンプ、リビングに放りだしてあるのをたまに見て面白かったのがこの原作だったりする。といってもちゃんと読んだわけではなく、音楽学校(だと思っていたが映画はプロダクションみたいだった)のふえ科の謎の講師(だがどうもふえはふけないらしい)ジャガーと、だまされてそこに所属するにいたったピヨ彦ら生徒(なのかな?)たちが繰り広げる(というほどのものでもない)ドタバタである。映画版は、まずこのジャガーを要潤が演じるという、いや確かに、言われてみればこの人以外にはないと思わせる絶妙の配役だけで、もう満足である。100分ほどの時間に一応のストーリーを展開しているのだが、明らかに低予算の(というかこのストーリーではどう作りこんでも大作になりえない)映像に、スカスカに隙だらけの展開が潔いほどである。

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『ロレンツォのオイル/命の詩』 ('92 アメリカ) 母も父も強し。母だけでも父だけでもなく。

治療法がないといわれた難病ALDの息子をなんとか救いたいと、両親がありとあらゆる手立てを使って調べ上げ、協力者を求め、子どもを看護した、実話による映画。患者の家族団体との対立もリアリティがある。病状の進行が苦痛に満ちたものなので、治療法がない以上、医療関係者との協力を保ちながら、どうやってその症状を受け入れ、最期を受け入れるかということに当面の目標を置いている団体と、何が何でも治療法を見つけるためにがむしゃらに取り組む両親とのぶつかり合いは、痛ましいほどである。もともと医学にはまったく関係のなかった、世界銀行の行員である父親が、ついに症状の進行を抑えるオイルを発見する。進行してしまった症状を戻すことはできないが、いつなくなってもおかしくなかった息子は、寝たきりとはいえ30歳まで生きることができた。誠実に作られた映画で迫力があるが、未だに決定的な治療法が見つからない難病の重さがのしかかってくる思いである。

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『エバン・オールマイティ』 ('07 アメリカ) 求めて与えられるのは可能性

モーガン・フリーマンが好きなので、そのつながりで観たのだが、これは面白かった。人気テレビキャスターが上院議員に当選というあたりは、『もしも私が大統領だったら』などのノリかと思うと、「世界を変える!」のモットーに応えて、フリーマン演じる「神」が現れ、箱舟を作れ、と命じる。もうここからはドタバタの連続で、とにかく息つく間もない展開で笑い通しなのだが、汚職と自然破壊へのメッセージも、ほろりとさせる名セリフも添えられて、ばかばかしいんだけど見終わった感じは温かい。もちろんほとんどがCGなのだが、つがいの動物が次々あらわれるのは壮観で愉快だ。

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『グミ・チョコレート・パイン』 ('07 日本) やっぱグリコじゃないと

大槻ケンヂの自伝的小説をケラリーノ・サンドロヴィッチ監督で映画化。まだオタクということばで一くくりにされることはなかったものの、暗く、いらだって、皆とは違うという自負と裏腹の不安、色気づいて悶々としていて、それでもどうしても譲れない好きなものがやめられずに、不幸せなようでそこそこ幸せな世界を持っている。自分とはちょっと世代は違うんだけど、きっと同じメンタリティを持っている。そういう高校時代と、結局作者のようには行かなくてあまり大したことのない人生なんだけど、それを振り返ることは単なる感傷ではなくて、けっこうリアルな生きがいにつながったりする。私にとっては恥ずかしくもうれしい、大好きな映画。

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『ファーストフード・ネイション』('06 アメリカ/イギリス) 実に美味そうに食うブルースはさすがだ。

リンクレイターというこの監督、実験作で話題になるが、中途半端だなあ、という印象と、なんだか気が滅入るわりに訴えが弱い物足りなさが残った。モーガン・スパーロックの『スーパーサイズ・ミー』の突撃パワーの前では、仮名ハンバーガーチェーンと精肉工場が舞台のフィクションでは太刀打ちできる感じがしない。もっとも、不法就労とか田舎街の閉塞感とか、スパーロックモノにない深刻なメッセージ性はあるのだが、その悲惨さと並べて描いてしまうと、牛糞入りハンバーグパテの方はどうなっちゃったのという程度のことになってしまう。ブルース・ウィリスやアヴリル・ラヴィーンのカメオ出演も、浮いた印象。牛の解体をリアルに見せているのも(こういうのが弱い人はやめたほうがよいが)こけおどし的な演出に見えてしまった。

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『ブラス!』('96 イギリス) だからこれはユーフォニウムだって

 どの程度かは知らないが実話に基づいているらしい。イギリスの炭鉱町は、廃坑寸前の緊張にさらされ、伝統あるブラスバンドも生活に追われる現実に解散寸前。そこに地元出身の若い女性がフリューゲルホルンを吹きにやってくる。だいたいこういう設定であれば、山あり谷ありの挙句にバンドは成功、という落ちが当然予想されるわけで、それ自体は間違っていない。しかしそこはさすがにイギリス映画、過去のものになった炭鉱の現実が太い筋になっていて、堂々としたサッチャー批判、25万人の失業の厳しさが突きつけられる。ユアン・マクレガー出演。

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『ガスパール/君と過ごした季節(とき)』 ('90 フランス) 風景と人々の美しさとはかなさ

 フランスらしい、という言い方はまったくもっ安易なのだが、その程度しか映画を見ていない自分にとってはもっともイメージしやすいのが、フランスらしい、という表現なのだ。まず構図の美しさに引き込まれる。止まっているカメラに映る映像そのものが、いかにも考え抜かれていて、美しい。そして、その美しさの後から、物語の筋が追い付いてくる。つまり「美しいなあ」という感じをまずもった後で、話が見えてくる。だから、余計なことは説明しない、というのは説明しようとすると美しさから筋へという流れが妨げられてしまうから。畢竟、説明不足にはなるけれども、そこが気になると見ていられなくなる。気にするのをやめれば、いかにもフランス映画らしい! と楽しめるのである。
 この映画も、ちょっとまてオイ、ばあちゃんを置いて行った家族は探さないのか、とか、そもそもこの家は誰のものなのか、立ち退きの話にならないのか、とか、これってつまり泥棒じゃない、とか、レストランに客は来るのか、とか、そういうわりと日常生活では重要そうなクエスチョンは、まったく説明されない。不幸な人生を送る人たちのつかの間のユートピアのようであり、人情味とユーモアのあふれたエピソードのなかに、一歩踏み外せばもうそれですべてが壊れてしまう危うさが漂う。それでもあまりにも美しい風景、打ちひしがれているのにあまりに素朴な人たちに、救いを求めてしまうのは、こいつら大丈夫かという立場で見ていたはずの、スクリーンのこちら側の自分である。
 しかしまあ、例によっておかしな邦題やキャッチコピーである。原題は単に「ガスパールとロバンソン」。これをガスパールだけにしてこの日本語の副題を付けてしまうと、ちょっとネタばれになってしまうのも痛いし、わざとらしい(とき)は恥ずかしいし、解説で繰り返される「童心を忘れない愉快な中年男二人組をめぐるハートフル・コメディ」ってのも、どうしたらそういうことになるのか、そこはちゃんと説明しろよといいたくなりますね。

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『タナカヒロシのすべて』('05 日本) 鳥肌実のすこしばかり

 これはなかなか奇妙な映画で、面白かった。カツラ会社で会計係みたいなことをしているタナカヒロシを鳥肌実が演じているわけで、この人のヘンな感じが圧倒的だ。私は鳥肌実をほとんど見たことがなかったので、この人の変な感じというのを、右翼ネタの芸人という予断からアクの強さとか斜に構えたようなイメージでとらえていたのだが、この映画で描かれる限りでいえば、もっと大きな幅のあるヘンさだった。無口な社員としてパソコンに向かっていても、弁当売りのユンソナに心配されていても、シロアリ駆除や屋根修理にカモられてローンのはんこを押していても、落ちてきた鉄骨が当たらずに命拾いをして笑っても、あの髪型は崩れず、端整な顔はそのまま引きつっている。鳥肌がひたすらすごく、そのキャラクターがますます分からなくなる。

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『紺野さんと遊ぼう』('08 日本) 遊びたいけど大変そう

コミック原作らしいが、「蛇にピアス」で話題の吉高由理子主演の、かなり奇妙な、監督によると「フェチ・ショートコントみたいなもの」。これを見れば、セリフなしで本人はいたって自然だが他人から見ると奇妙な「おぼこ」女子高校生を演じる吉高の巧さは歴然。紺野さんは、カビの生えた墨汁の香りが大好きな女子高校生。そのセーラー服姿の紺野さんが日常生活を送る姿を観察する構成。用語解説や通信販売の演出がアクセントだが、こういう遊びがないと息詰まってしまうかもしれないほど、当たり前のように変な行動を取る吉高は、あまりにも無防備で、エロティック。

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『チェンジリング』('08 アメリカ) 自分のほうがおかしいのではないかと思ってしまう瞬間、それを振り払う瞬間

久しぶりに妻と映画館で見たハリウッド大作。実話に基づく脚本で、子どもが行方不明になった母親をアンジェリーナ・ジョリーが演じる。闇社会との癒着、強引な捜査で信用のない警察は、まったく別の子どもを押し付けて、自分の子どもではないという母親を精神病院に閉じ込める。そこに明らかになる、子どもの大量殺人事件。一つ一つのエピソードを丹念に綴り、母親以外の人物像をあまり作りこまないところが、非常にバランスのよい仕上がりになっているが、そうなると彼女を支援する人たち代わりと単純にいい人になっているのと、殺人犯の異常さがちょっと弱いのが、私には物足りなく感じた。しかし「どうしてそんなことになってしまうのか?」という驚きは、十分に満たされる。妻はニセの子どもがいちばん怖いといっていたが、なるほどである。

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『フランシスコの2人の息子』('07 ブラジル) これが前向きということ

ブラジルの有名兄弟デュオの実話ということで、最後のほうには実際のデュオと両親の映像が見られる。小作人で子沢山の父親は、息子が音楽で身を立てられるようにしようと熱を上げる。稼ぎをつぎ込んで幼い兄弟にアコーディオンとギターを買い、土地を借りていた義父に追い出されてしまう。街の小さな家で暮らし、建築現場で働く父。貧しさに泣く母を見て、兄弟はバスターミナルで歌い始める。ドサ回りの興行師に見出されて、その一歩を踏み出すが、その先にはいくつもの落とし穴や悲劇が・・・。これでもかという危なっかしさにもかかわらず、このおとうちゃんはひたすら前向きだし、おかあちゃんはよく我慢したと、もうそこで感動してしまう。なかなかレコードが出ない息子たちのテープを地元のラジオ局に持ち込み、給料を全部小銭に替えて、仕事仲間に電話リクエストをさせるうちに、実際に人気が出て売り出しにつながる。子どもの可能性を絶対的に信じているのが、親バカなどという言葉を吹き飛ばしてしまう痛快さ。

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