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バックナンバー(07年10月〜12月)
☆このページは映画などの感想ですので、特に断りなくネタバレあります。悪しからず。☆

『ロボコン』('03 日本) ほんとうはけっこうスポコン

 商売柄この映画を今まで見ていなかったというのは、ちょっと申し訳なかったのだが、いまさらながらに気づいてみれば長澤まさみはこれが映画初主演作だし、小栗旬、伊藤淳史、塚本高史というチームメンバーに加えて、ライバルチームのリーダーは荒川良々と、なかなかどうしてすばらしい顔ぶれではないか。舞台となった徳山高専は、のちに不幸な事件でも知られることになってしまうのだが。ロボコンによって高専は知名度が上がったと思うし、ロボコンがやりたくて高専に入ったという学生も一時期増えたが、もちろんロボコンは高専の一面でしかない。しかしロボコンを見れば、何となく高専生ってどんなやつらなのか、というイメージはとてもよくわかると思う。さて、この映画、ロボコン出場の実機をうまく使ってリアリティを確保しながら、今風のゆるさでワカモノを描いている。リアルロボコンはもっとかなり熱いしごちゃごちゃせかせかしていて、台本で時々スポコンじゃなくてロボコンというけれども、けっこうスポコンしているところもあるし、優勝までしてしまうところはちょっとどうかなという展開ではあるが、まあ高専生が見てもそこそこ楽しめるだろう。

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『恋は突然に』('07 アメリカ) 弱った魚はすぐ釣られる

 結婚式の前日にボートの事故でフィアンセを亡くした女性が主人公。最初のうちは人間関係がよくわからない(最後までわからないところも・・・)のだが、どうも彼女とフィアンセのほかに、釣具店?の共同経営者らしい真面目な感じの人と、親友?らしいコピーライターのヒゲメガネの人との4人でルームシェアしていたのか、そこにロサンゼルスに住んでいるフィアンセの友人のカメラマン?の人が葬式以来住み着いて、若い男3人が、残された主人公の周りにいる、ということらしい。死んだフィアンセには実はロサンゼルスにマッサージガールの愛人がいて、4歳の息子も生まれていたことが、葬式の後になって分かる。この親子もやってきて、さらに、お金持ちで未亡人?のフィアンセの母親が絡む。と、こんなところが登場人物である。原題の "Catch and release" は、釣りが趣味(仕事?)のフィアンセにちなんで、たぶん主人公の置かれた立場を示しているのだろう。共同経営者君は真面目なのでずっと主人公を好きだったけど我慢してきた。LA野郎は葬式の場で行きずりの女性と関係してしまうような奴だが、まあ結局主人公はこっちとうまくいってしまう。ヒゲメガネ君はマッサージガールといい感じに。というのはそれぞれの役柄から見て、なるようになったというところなので、私としては、フィアンセの追悼式のシーンで終わりにしてしまった方が、このあとにとんだどんでん返しがあるかも? という余韻が残るのになあ、と、最後まで見てしまって非常に残念な印象だ。これから見る人は、追悼式のシーンでやめた方がよい・・・なんて言われて、本当にやめる人はいないだろうけど。しかしとにかく、この淡々とした流れ、ほどほどの説明不足、映像の構成の端正さは気に入った。川や山の風景もとてもきれいだ。で、結局そこそこ気に入った映画であった。

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『太陽に恋して』('00 ドイツ) 部品取りにどうぞ(盗品ですが)

『クロッシング・ザ・ブリッジ』で知ったファティ・アキン監督の作品を借りてみた。生真面目な物理教師の青年が、運命の相手と思い込んだ女性を追って、ハンブルクからイスタンブールまで、波乱万丈の旅を続け、最初に彼に一目ぼれした自由奔放な別の女性とむすばれる、というのが筋なのだが、何せ最初にヒッチハイクした車のトランクには死体(!)が入っているし、パスポートも金も盗られて万事休すと思いきや、盗んだ車を切り売り(!)しながら結局イスタンブールに着いてしまうという成り行きは、奇想天外、とぼけた国境警備兵役で出演していた監督の発想の奇抜さには、あっけにとられてしまう。何度も爆笑しながら、小さなヨーロッパに張り巡らされた国境線と多様な民族の往来を考えさせられる。『クロッシング・ザ・ブリッジ』の前哨ともいえる、緊張とほのぼのの混在した奇妙だが愉快なロードムービー。

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『コーチ・カーター』('05 アメリカ) 夢のその先の現実

 『ミュージック・オブ・ハート』に続いて、息子が学校で見てきてまた見たいと言うので借りた、実話に基づく映画。アフリカ系アメリカ人が、アメリカ社会でステイタスを得る最大のチャンスが、スポーツと音楽であるとはよく言われるが、実際にビッグネームになれるのはほんの一握りに過ぎず、その現実にぶつかったときにどうするかは大きな問題である。事情は日本でも同じである。私も仕事柄、スポーツの成果を誇る学校の教師にも知り合いは何人かいるが、ある私立高校の先生のお話を聞いて、ちょっと感動したことがある。その学校では、スポーツ推薦で入ってくる子が多いが、体をこわしたり、伸び悩んで脱落した場合に、その子に向いた進路を見いだし、学業に取り組む動機付けとフォローを心がけ、最後まで進学や就職の面倒をきちんと見るという。多くの学校では、そういう場合、居心地が悪くなって出て行く生徒の話をよく聞くので、感心したのである。また、あるスポーツジャーナリストの講演で知ったことだが、アメリカではバスケや野球で一流の選手が、引退後は医者や弁護士、会計士などになって活躍することが少なくないという。日本ではスポーツ界に何らかの形で残るか、芸能界にはいるか、貯めたお金で飲食業などを始めるくらいであるという。ステイタスの高い仕事につくための困難な資格取得に、スポーツの傍ら取り組む本人の努力は並大抵ではないだろうが、それを支える雰囲気や制度、周りの人間たちの意識もあるのだろう。
 こうした実情について見聞きしたことが、この映画を見たときに、次々に浮かび、納得するところがとても多かった。舞台はまあかなりやばそうな学校、しかしバスケチームはそこそこ活躍している。この「そこそこ」がミソで、このところ低迷気味、チームのまとまりも今ひとつ。そこにOBのカーターがコーチとして雇われてくる。チームの質を高めるために、素質のある生徒でも態度が悪ければ容赦しない。戻ってきたければ腕立てやらなにやらを何百回、である。さらに、勉強で全員が合格点をとらないとチームを試合に出さないばかりか、練習も停止である。学校や保護者ばかりか、バスケチームを支える地域住民からも猛反発を浴びるカーター。しかし彼は一歩も譲らない。その信念がどこから来るのかというと、ほとんどの子はバスケだけではこの先、生きていけないという、厳しい現実である。実際に、麻薬の売買に手を出して、知人を目の前で射殺された子が戻ってくる。恋人を妊娠させて悩む子もいる。やがてカーターは学校の運営会議で孤立し、練習停止の解除を決議される。しかし、失意の彼が体育館に向かうと、生徒たちはそこで勉強に打ち込んでいる。ついに全員が合格点をとったチームは、地区大会を勝ち抜く。州大会(かな?)に進出したチームは、いきなり強豪に当たって惜敗するが、生徒たちはその後、皆大学に進学し、バスケの才能を伸ばすものも、医者を目指すものもいる。
 夢を追い求めるだけでは足りない、という以上に、たとえその夢を実現させたとしても、その先をどうするか、そういう準備も必要である。この映画は、感動的だが、それ以上に現実の重さをずっしりと体感させるものである。実話の重さを表面的な人情話に置き換えてしまうような軽薄さのない、しっかりとした映画化作品だと思う。それにしても、息子の学校の先生たち、マイナーな中からいつもよい作品を選んで見せてくれると改めて感謝。

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『クロッシング・ザ・ブリッジ』('05 トルコ・ドイツ) ボスポラスのように橋をそここに

 噂には聞いていたがこの作品はすごい。といっても、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン(第二外国語がドイツ語だった私だがこのバンド名は辛い)のアレキサンダー・ハッケがイスタンブールの音楽界を取材するというドキュメンタリー。なぜノイバウテンかとか、なぜイスタンブールか、というところにもミソはある。がしかし、この音楽シーンの濃さというか厚さはなんだろう。まず、ラップやパンクもある。この分野は私は疎いので(と書いていたらまあこの映画に出てくるすべてに疎いことに気づいたが)なんともいえないが、少なくともこのトルコ語のラップやらエキゾチックなエレクトロニカなどは、すごく面白い。さてあとは民族系だ(なんて割り切ってよいわけではないだろうが)。クルドの音楽とジプシーの音楽には、速攻やられる。こういった音楽の洗練は、どうしたってその中で育っていなければ成し遂げられないはず・・・と思いきや、トルコ音楽にハマって完璧なトルコ語で歌うというカナダのブレンナ・マクリモンなんて人も出てきたりするので、もう理屈は降参、聴いて、見るのみだ。それでも、これはトルコの民族性の豊かさなのではなく、勝手に引かれた国境線の残酷さなのだということが、どうしても響き合う。終盤は若いミュージシャンも尊敬するというトルコ音楽界の大御所たち、反体制フォーク?もアラベスクもすばらしいが、最後のセゼン・アクスには鳥肌立ちます。うーんこれは、周りのすべての音楽好きにお勧め。ファティ・アキン監督作品、さらに借りるぞ。

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『胡同(フートン)のひまわり』('05 中国) 絵は少し離れたところから見る

 「父子モノ」に弱い私としては、予告編を見て『北京バイオリン』の絵画版かな、と思って見たのだが、もうちょっと(ちょっとだけだが)ややこしい話だった。文革で下放され指を潰された父親が、6年ぶりに胡同に帰ってくる。出迎える妻、父親が分からない腕白坊主の主人公。言うことを聞かない悪ガキの息子に、絵を仕込もうとする父親。強制労働の原因となった隣人との付き合い、地震は乗り越えたが近代化の再開発の波には飲み込まれる胡同、アパートに住みたくて必死に画策する妻との葛藤などが絡み合い、反発しながらも若い画家として成功していく息子とその嫁、両親との距離感が案外現実味がある。隣人の寂しい死、取り壊されていく胡同の様子に直面して、息子の成功に満足した父は、ある決意をする。子どもの遊びが、私たちとあまり変わらないのが興味深かったり、中国の文革から改革開放の急変する歴史が垣間見えたりするところも面白い。シンプルな感動は『北京バイオリン』に譲るが、父親の現実感はこっちか。絵画を見るときの程よい距離感が象徴的なのかもしれない。

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『ブラボー火星人2000』('99 アメリカ) ・・・結局、どんなドラマだっけ?

 私が子どもの頃、テレビでよく見ていたのがアメリカのドラマ。『ルーシーショー』『奥様は魔女』『わんぱくフリッパー』『宇宙家族ロビンソン』あたりはほんとうに良く見ていたと思うが、そういえば『ブラボー!火星人』というのもあったな、とひょんなことから思い出し、検索してみた。残念ながら、テレビドラマはDVDになっていないようだが、その代わりにヒットしたのがコレだった。ディズニー映画によるリメイクで、当時日本では公開しなかったらしい。火星人は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の博士だ。火星人がやってきて科学者とテレビ局絡みのドタバタが演じられるという、それだけで十分展開が予想されるとおりの中身だ。火星人の服は人格?のようなものをもっていて、こいつがたちが悪いのだが、そのドタバタギャグは『マスク』などでおなじみのアメコミ風というかアクのつよいもので、翻訳も難しいのだと思うが、コレが楽しめるか、せめて我慢できれば、まあ面白く見られる。もとのドラマがどんな展開だったのか思い出したかったのだが、残念ながらその記憶の糸口を見つけることはできなかった。

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『サージェント・ペッパー ぼくの友だち』('04 ドイツ) 友だち、いる?

 冒頭ムク犬サージェントペッパーと飼い主の富豪の悲しい別れにしんみりすると、切り替わった場面はオートメーションになっているキッチン。その様子を見てすぐに思い出したのが、かつて息子が大好きでしょっちゅうビデオを見ていた『ミクロキッズ』のザリンスキー家。しかしさすがにドイツ映画、発明家のお父さんが作り出すジンガー家のちょっと調子のおかしな調理器具やら子供部屋の全自動朝のお支度マシン(これはワタシも欲しい)のデザインは、どことなくドイツらしい機能美に洗練されていて、ミクロキッズのディズニーランド風との違いに、妙に感心したりする。そうそう、途中、ピタゴラスイッチ風も出てきますが、これはNHKの勝ちです。
 さて、亡くなった富豪は、ペッパーを可愛がってくれる子どものいる家族に預け、豪邸と主な財産をペッパーに相続させるという遺言を残していた。ペッパーが亡くなったときには、二人の息子と娘(これがワルなのはこの手の話の定石通り、しかも女のほうが悪賢くて、男のほうがちょっと間抜けでお人よしというのも・・・)に財産は分割される。それを聞いて、二人はペッパーを殺して財産を手に入れようとするが、ペッパーは危機一髪で逃げ出して、いつも虎の着ぐるみを着ている変わり者の子ども、6歳のフェリックスと出会う。お父さんは発明家、お母さんは音楽家(指揮者)、お姉ちゃんは活動的でいつも出かけている。友達がいないのを心配した母親は、フェリックスを精神科医に診せたりするが、父親は俺もあれぐらいのときには友達なんかいなかったと気にしていない(妻に「今もでしょ」と切り返されるが、このやり取りは案外、示唆に富んでいる)。ペッパーの言葉が分かるフェリックスたちに、ペッパーを取り返そうとする魔の手が伸び、一方お父さんのトンデモ発明の騒ぎでジンガー家は家を追い出されそう、さてどうなる事やら・・・。
 ストーリー自体は陳腐なのだが、それでも引き込まれるのは、最初に印象付けられた「デザインの洗練」という要素が実はかなり重要かもしれない。甲冑に身を固めてペッパーを探しに行くシーン、富豪の娘が車から降りて、飼い主を探すチラシを追いかけて歩くシーン、その悪徳研究所にタクシーで乗り付けた子供たちを俯瞰するシーン、などなど、目をくぎ付けにされる絶妙な構図がちりばめられていて、これはまさに映画の醍醐味だ。そして、ストーリーや登場人物のステレオタイプにもかかわらず、驚かされるちょっとしたセリフも多い。極めつけは、もう全く予想通りともいえる展開で終わりそうなラストシーンの、思わず笑って、すぐにハッとさせられてしまうフェリックスのセリフである。あれはオチとして気が利いているとまず思ってしまうのだが(それで笑うのだが)、しかしこれはフェリックスの成長譚ではなかったということなのだ。おっとあぶない、だまされるところだったぞ! というのがワタシの感じた面白さのツボだったが、さてどうだろうか。

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『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』('07 日本) タイムマシンは日立製

 フジテレビ絡みの映画は普段見る気がしないし、映画があたって連続TVドラマにしたヤツなんてのも最悪だが、この単発モノは、広末涼子、薬師丸ひろ子、劇団ひとり、伊武雅刀、阿部寛、吹石一恵、伊藤裕子というキャストが魅力的で、つい見てしまったが、くやしいけどすごくおもしろいのである。ドラム式洗濯機型のタイムマシンで過去に乗り込み、総量規制をストップさせてバブル崩壊を防いでしまうという発想、原作がホイチョイプロというのはなるほど納得(かなり変更されているようだが)。細部へのこだわりとちょっと引き目の皮肉を利かせてのノリは、バブルのどっち側にいる(いた)ヒトにもくすぐりを効かせる。広末涼子はやはりかわいいし、吹石一恵はやはり濃い眉毛がとても似合う。薬師丸ひろ子の若づくりはしかしちょっとアレだが。タイムマシンと言えばあの傑作『サマータイムマシンブルース』も監督がフジテレビ関係だったが、原作が芝居だったから比べるのもおかしいのだが、あれはタイムパラドックスを防ごうとするドタバタが笑えたのに対し、こっちの方はタイムパラドックスなんぞはこの際ぜんぜんお構いなし。ラストはSF的ストーリーとしては完全に破綻しているが、見せたいのはそこではなかったわけで、ホイチョイ目線がまさにあのラストシーンの俯瞰に重なり、漫画や顔文字の「冷や汗をかきながら笑う」状態になる仕掛けだ。六本木の光景には今も昔もなじみがないが、阿部寛の部屋に飾られているLPジャケットの中にホールズワースのベルベットダークネスがあったのは微妙にうれしかった。そうだ、『時をかける少女』もアニメでリバイバルしていたが、こういうご時勢はタイムトラベルの夢想を誘うのかねえ。

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『マイ・ビッグ・ファット・ウェディング』('02 アメリカ) お弁当にムサカは冷めてもおいしいか

原題は "MY BIG FAT GREEK WEDDING" で、別に大きな人の話ではなくて、邦題で省略されてしまったギリシャ移民の話というのがポイントなのだ。ネットで調べてみると、主演女優が自分の体験に基づいて脚本を書き演じていた芝居を、ギリシア系の妻に勧められて観たトム・ハンクスが、映画化を勧めて実現した作品なのだそうだ。低予算映画にもかかわらず口コミで評判が広まり大ヒットしたという。コテコテのギリシア系移民の家族親戚の濃い結びつきがとにかく見所で、誇張もあるのかもしれないが、移民社会の慣習や文化もひとつひとつにくすぐられたり大笑いさせられたり。ハッピーエンドのウェディングコメディだが、ギリシア風味が効いてなんともエキゾチック、暖かくも痛快な面白さだった。

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『地球の危機』('61 アメリカ) 核ミサイルでぶっとばせ

 『あなたになら言える秘密のこと』の中にシービュー号のドラマを見て云々というセリフがあって、そうだそうだシービュー号! と思い出してさっそく検索をかけてみた。テレビドラマシリーズのほうは残念ながらDVD化されていないようだが、最初の映画版があったので借りてみた。確かに見覚えがある。そうか、シービューとは窓がついているのでseaviewだったのか、と子ども時代に気づかなかった事実に胸のつかえが降りた(というほどつかえていなかったが)。そもそも提督の道楽で作ってしまった核ミサイル搭載の原潜(!)という設定がぶっ飛んでいるが、バンアレン帯が燃え上がって(!!)地球の気温ががんがん上がって滅亡寸前なので、核ミサイル一発ぶち込んでバンアレン帯を宇宙に吹っ飛ばしてしまう(!!!)というトンデモSF設定が格別の味わい。だいたいバンアレン帯の薄いはずの北極で空が燃え上がり(!)、溶けた氷山がドバドバ海中に落ちてきて(!!)シービュー号にガンガンぶつかってもうタイヘン(!!!)。機雷はいい感じにリアルな古び方をしていたが、ついに全体を見せないイカとか、模型のシービュー号に(たぶん)実物のタコくっつけちゃったりとか、えらくちゃちな国連の会議とか、結局連絡がつかない大統領の存在感のなさとか、乗組員のモブシーンにはよくコックさんがいるとか、暑さでみな死んじゃった船に乗って帰りたいやつが帰るとか(一緒に行かされる医者がかわいそすぎ)、見所いっぱい(というのかな)。でもすごく一所懸命に作っているのは良く分かります。海底の場面など、ちゃんと水中セット作って撮影しているし、襲ってくるイカらしきものの、微妙な色合いの腕が迫ってくるところなんかも、かなりの工夫をしたのだろうなあと感服します。ストーリーは最初から完全に破綻しているのに大真面目で作った手抜きのないB級SF映画、やめられません。いやー堪能しました。

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