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バックナンバー(07年07月〜09月)
☆このページは映画などの感想ですので、特に断りなくネタバレあります。悪しからず。☆

『一票のラブレター』('01 イラン・イタリア) 地球に優しいお茶のいれ方

 イタリアとの共作だが基本的にはイラン映画。テヘラン生まれでカブール育ち、イスラム革命以後カナダに留学して映画を学んだババク・パヤミ 監督の作品で、ベネチアで監督賞を受賞した作品。東京フィルメックス出品時は『票の重み』という味も素っ気もないタイトルだったようだが、公開時のこのタイトルはどうかと思うぞ。ラストシーンからひらめいたのだろうが(原題は "Secret Ballot" 秘密投票)。
 朝焼けの静止画のようなながーいショットに機影がやってきてパラシュートが開く。もうこのシーンだけで、ワタシの好みの映画であることは確実です。密輸業者を見張る兵士の前にボートがやってくる。降り立った若い女性は選挙管理委員。離島の選挙のために、投票箱を持って一日で巡回するのだ。若い兵士はその護衛を命じられる。いやいやジープを運転する兵士、民主主義や法律について正論をぶつける女性。選挙への無関心や反感、因習に悩まされながら回るうちに、兵士も彼女に惹かれるが・・・。
 ストーリーとしては、民主主義にも伝統社会の因習にも、ともに疑問を持ちながら、しかしいずれも断罪できない今というものを訥々と語っているように思う。ジャーナリズム専攻の学生だった主人公の女性、遅々として進まない撮影にいやになって帰ってしまった最初の主役に代わりキシュ島に仕事を探しにきていてスカウトされた兵士役の若者、この二人の主人公を含め、職業俳優は一人も使っていないそうで、エキストラは全て撮影地であるキシュ島の住民とのこと。イラン随一の観光地でありながら、多彩な民族集団と伝統文化を抱え、一方で採石場?やら太陽発電施設(の成れの果て?)やらが忽然と姿を見せる。砂漠の褐色と、ペルシャ湾の青さの対比、自然光と二枚のレフ板しか使っていないという映像が、広角と長回しの多用にあいまって、すべてが絵画のようだ。チャドルを直す仕草とか、風になびいたりする映像ってのはすごくイイですね。まったく車の通らないところにぽつんと立ち、こわれて変わらない赤信号の前で、風をはらんで広がるチャドルのシルエットはちょっと忘れられない画になりそうです。どういうわけか。
 また、不思議な響きの音楽がまた印象的。これは特にイラン音楽というわけではないらしい。エンドロールを見ていたら、音楽担当の Michael Galasso のバイオリンのほか、モリ・チエコという人が琴を弾いていたりする。ほかに David Bellugi (flauto dolce)、Ali Tajbakhsh (zarb e djembe)。
 本作の発想の元になったという、『キシュ島の物語』も見てみたいのだが、廃盤でレンタルにも載っていない。残念。

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『あなたになら言える秘密のこと』('05 スペイン) 愛も戦争も深く傷つける

 監督とか俳優とかについては、よく知らないのであれこれいえない。前半は何の映画か分からなかったが、とにかく「火災があって操業を停止している海底油田の掘削プラットフォームに残るワケアリの人たちと、やけどで負傷している人を世話するためにやってきた美人だが耳の不自由な看護師」というシチュエーションは好みだ。やけどした男性を何故さっさと陸に運ばないのか謎だが。そして明かされる男女の秘密。一度見終わってから、最初からもう一度見直すと、セリフの伏線に気づく。それにしても、戦争の記憶はどんな戦争でも同じく残虐で、生き残ったものの傷も同じく凄惨だ。贖罪を自虐と呼ぶ人々はこれを忘れさせたいのか、終盤にはその心もまた同じかと思い至らされる場面もある。
 男女の謎は明かされるのだが、映画そのものは男女が離れ離れになってからの展開でますます不可解になる。これは最後はシンプルな愛の物語になってしまうのか? 結果的に二人は結ばれる。だが・・・この映画は本当に「ハンナ」の再生あるいは統合の物語なのだろうか? あるいは戦争の記憶が忘れられることへの皮肉なのだろうか? もう二度とやってこない・・・それは愛の成就なのだろうか? ああこれでよかった、と敢えて思わせぶりな、しかし本当にこれが終わりなのかという思いに突き放す語り。二人の子どもたちの顔が見えないこと、そして「ハンナ」の表情の薄さに、私はひどく不安を掻き立てられるのである。

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『サンキュー・スモーキング』('05 アメリカ) ローンで買えない大切なもの

 原作小説『ニコチン・ウォーズ』が面白かったので、映画も見てみることにした。タバコロビイストという嫌われ者が主人公で、酒と銃器のロビイストとの友情も一興。おおむね原作の雰囲気を生かしながら、登場人物の個性も映画らしく誇張されていて笑える。それにしてもこれまた離婚した父と息子の関係が重要な筋になっていて、暖かさとユーモアを加えている。まあアレですね、全てはローンのため、ということのリアリティ。だけどそれよりも大切なものがある、という落ちにしても、笑えるのはサブプライムローンでヤバそうな彼の国の状況ばかりではない。

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『ミュージック・オブ・ハート』('99 アメリカ) カーネギー・ホールには音楽の霊が棲む

 息子が学校の音楽の授業で見てきて、面白かったからもう一度見たいの言うのでDVD借りてみた。ニューヨークの下町の荒れる小学校にやってきた、シングルマザーの音楽教師ロベルタが、課外教室で子どもたちにバイオリンを教え続ける。目標を持った子どもたちは生き生きとし、巣立っていくが、教育予算の削減に遭い教室は閉鎖を余儀なくされる。親たちが中心になって、教室存続のためのコンサートを企画するが、会場の都合がつかなくなり暗礁に。しかしその活動がニュースで紹介されたことから、著名なバイオリニストたちが援助に乗り出し、ついにカーネギー・ホールでのコンサートにこぎつける。実話に基づき、ドキュメンタリーフィルムも評判になり、それを見た監督がメリルストリープ主演で映画化した。映画でもアイザック・スターン、イツァーク・パールマンなどが出演、実際のコンサートには五嶋みどりも出演していたとのこと。ひたすらバイオリンを通じて子どもたちを伸ばしていく教師という存在、芸術教育の価値をめぐる対立など、考えさせられる問題はたくさんあるが、子どもたちと一流バイオリニストの共演のクライマックスをとりあえず楽しんでしまう。ロベルタにカーネギー・ホールの神秘を語るスターンのセリフもすばらしい。

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『ナイトミュージアム』('06 アメリカ)サカガウェアの目にはどう映る

 古代エジプトの石板の魔力で、夜の博物館の展示物が・・・というファンタジーの設定に、離婚して失業中の主人公がなんとか息子の信頼を取り戻そうとして、というリアルな父子モノを組み合わせると、こうなる。父子モノというとウィル・スミスのやつとかは見るのがつらそうだけど、こっちは達者なコメディ俳優の名も並んで楽しそうなので、見てみた。おもしろかったです。ロビン・ウィリアムズのセオドア・ルーズベルトとか、悪い警備員のディック・ヴァン・ダイクなどはうまいというか、こういう人たちが出ていると安心してみてしまいますね。もちろん映像はCGバリバリ全開ですが、そもそもがミニチュアのジオラマが動きだしたり骨だけの恐竜が駆け回ったり、ハーバード(じゃなかったかなケンブリッジだったかな)の歴史研究室に置かれていたエジプトのミイラが耳学問でフン族のアッチラと英語の通訳したり、まあばかばかしさ全開ですから、いいんですこれで。でも一つためになったのが、アメリカ人なら誰でも知っているだろうサカガウェアというネイティブアメリカンでした。ちょっと本を読んでみることにします。

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『JSA』('00 韓国)リラックスして観られる?

 最近、妻がはまったチャングム、一緒に見ているうちに、イ・ヨンエにすっかり惚れてしまい、『大統領の理髪師』と『グエムル』で好きになったソン・ガンホと共演となれば、この『JSA』を見ないわけにはいかない。共同警備区域で起きた銃撃戦の原因を解明しようとする中立国監視員会のスイス軍将校ソフィー。しかしその背景が明らかになるにつれて浮かび上がったのは、意外な友情であった・・・。まず、韓国映画を見ていつも思うのが、お隣の国の現代史に関する自分の無知である。戦後から朝鮮戦争まではともかく、それ以後については、案外表面的にしか知らないものだ。こういう歴史と現実を生きている隣国の人々について、考えさせられることがいくらでもある。ところで、ストーリーの緊迫感と複雑な思いに緊張して見終わって、DVDに収録されていたイ・ヨンエのインタビューを見たのだが、いやあお美しい・・・ということではなくて、この映画はリラックスして見てもらえると思う、とにこやかにおっしゃるのに仰天したのだ。私が見るのと、韓国の人が見るのとでは、受け止め方がどのように違うのだろうか。この戸惑いが、さらに韓国映画にはまりそうな予感をもたらすのである。

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『幸福のスイッチ』('06 日本)フツーにいい映画

 南紀白浜近くの田舎町の電器屋の主人が沢田研二。みかん農家の嫁に行った長女が本上まなみ、東京の専門学校に行って就職したイラストレーターの次女が上野樹里、工業高校の電気科に通う三女が中村静香。父の電気店を長女と三女が手伝っているが、アンテナ工事で屋根から落ちて骨折した父の手伝いに、次女を呼び寄せる。次女は会社で思うような仕事ができずにケンカして飛び出してちょうど失業中。
 次女はやたらと面倒見がよく商売を度外視して親切な父を嫌っている。忙しくて発見が遅れ、癌で亡くなった母のことや、絵を勉強することに反対されたこと、小料理屋の未亡人に親切にしていることが許せない。しかし、大型電気店の進出でますます商売がきつくなっていても、町の人に頼りにされている父の仕事を通じて、心を許すようになる。
 ・・・とまあ、そういう話で、ありがちといえばありがち。映画に何か革新的なものを期待するならば、それには応えられないだろう。でも主演の上野樹里の、ちょっとつっぱったりむくれたりふてくされたりの演技はとてもよいし、本上まなみの長女らしいしっかりぶり、中村静香のからっと明るく元気な様子など、どれも好ましく、ロケ地の田辺町の風景や人々の雰囲気もよく溶け合って、見終わってみれば、それらを引き出した監督の力に素直に納得させられて、ほのぼのと楽しめて幸せな気分にさせられてしまった。肩肘のはらない、しかし誠実に仕上げられた映画で、満足である。それにしても、町の電器屋さんは大変だ。この映画も「ナショナルのお店」の協力。みな沢田研二のように奮闘しているのだろうか。ワタシも自分の電化製品は大型店で買ってしまうが、両親の家のものは実家の近所の電器店に頼むことが多い。使い方のアドバイスや工事など、安心を買う。だから、こういうお店がなくなるのは確かに困るのだ。

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『サンダーパンツ!』('03 イギリス)夢とオナラと友情

 これは面白かった。人並みはずれたおならで悩む少年が主人公。なにせそのおならのせいで本人がいじめられるばかりでなく父は蒸発し母はアル中になってしまうくらいだ。そんな少年に赤毛で鼻の利かない天才少年が友達となって、おならを才能として活用する道が開けていく。しかしその親友は謎の理由で外国へ。テノール歌手に悪用されたあげく事故の責任を押し付けられてあわや死刑!というところで助けられ、アメリカで親友に再会、力をあわせて宇宙飛行士の救出に向かう。それは人並みはずれたおならパワーを推進力にするサンダーパンツ3号・・・とまあ、むちゃくちゃである。でも、子どもたちに向けたメッセージはしごくまじめで、ハリー・ポッターでロンの役をしていた子はじめ役者の演技ももちろん確かで、パロディもふんだん、イギリス人にとってのイギリス、イギリス人から見たアメリカへの皮肉も効いていて、前半イギリスの田園風景の映像も美しく、全体としていたって気持ちよく親子で楽しめる映画になっている。

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『ヅラ刑事』('06 日本)下手ならさっさとやってくれ

 関係ない話だが映画は最近ナントカ製作「委員会」で作るんですね。ワタシの勤め先では「委員会」というのはナントカ委員ばっかり増えてよくないというので「WG」だの「PT」だのになっていますが、やってることは一緒です。ちなみに「会議」も「連絡会」だそうです。じつにばかばかしいですね。さて、ばかばかしいといえば河崎実のとにかく低予算でばかばかしいものをどんどん作ろうという志(なのかどうかわからないけれど)の存在価値はあると思うし、筒井康隆原作『日本以外全部沈没』は極度にチープながらテンポは良くてけっこう笑ったが、原作・脚本的にどうもしっくりこないのは、この作品も『いかレスラー』と同じ。一番面白かったのは、最初の腹話術強盗だったりする。ドクター中松のセリフもモト冬樹の歌も長すぎる。アイデアの奇抜さを引き立たせるのは演技の確かさだと思うので、そこそこ芸達者なわずかな役者と組み合わされる、話題づくりのための素人の学芸会的演技が、がんばればがんばるほど映画の面白さを損ね、すり減らしてしまう。たぶんちょっとゆっくりした感じが面白いという狙いなのだろうが、これはワタシの感覚かもしれないが、下手ならさっさとやってくれと強烈に思ってしまうのだ。悪役の女の子を含めとにかくほとんどの役者の演技が微妙で、さすがにげんなりしてくる。さてイカとヅラを観て、コアラとカニが残っているが・・・たぶん観ないだろうなあ。ばかばかしいだけではだめです。

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『えびボクサー』('02 イギリス)誠実極まりないいかがわしさ

 かの迷作『いかレスラー』の元ネタと聞いて観てみることにした。観てよかった。こちらはいかにもイギリス映画らしい、大真面目のいかがわしさが溢れる傑作だった。登場人物のすべてがいかがわしい。そもそも「ボクシングをする巨大エビ」という存在そのものがまったくいかがわしいので、部分部分のいかがわしさを強調すればするほどいかがわしさが等比級数的に跳ね上がっていく。製作者がエビの生態を調査した番組を見て「ごく普通の人たちと友達になってフォードの運送用バンにのっているエビ」を映画にすることを思いついたという、そもそもの脈絡のなさ。そして、そのあきれた思いつきを実際に映画にしてしまうまでのなりゆきの奇抜さ。そう、この映画作りそのものが、映画の内容ほとんどそのままといういかがわしさなのである。番組に乱入したビルのスピーチのとんでもない中身のどうでもよさは、このいかがわしさのクライマックスだったかもしれない。「AV男優ならぬエビ男優」だったか、そんな字幕ダジャレの傑作にも出会った。
 じつにくだらないので、内容的には決してだれにも勧めない。しかし、まったく無意味なものを誠実に作った作品は、その究極の真面目さで感動させてくれるのである。一方、どんなに意味のあるものでも不誠実に作った作品はその対極にあって、もっとも唾棄すべき作品というべきである。後者は掃いて捨てるほどあるが、前者はきわめてまれであり、本作は、そうした奇跡の一つである。

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『リンダ リンダ リンダ』('05 日本)リアル文化祭のにおい

 最初のビデオ撮影のシーンから、そうそう、生徒が何かやっている時って、こんな感じだよな、と思う。要領が悪いので、その場にいたら手出し口出ししてしまいそうだ。商売柄、ああリアル学校ではコレはないな、と思ってしまうので、学園モノ映画やドラマはほとんど見ていられないのだが、この映画にはすぐにはまった。軽音部と顧問の関係なんかも実はコレが何気なくけっこうリアルです。
 こういう映画を見ると、ワタシはこういうマージナルな部分がスキで、リアルに教師になっちゃったんだなあと思う(実はコアな部分では学校があまり好きではなかった。愛校心はなくて母校で教師やりたいなんて思ったことはないし出来るだけ行きたくないのは今も同じ)。すごく感動的なことやすごく不愉快なことがそんなにドラマチックに展開する場所ではなくて、ちょっとした不安や不満や怒りや喜びが思いもよらずにわいては消える場所にすぎない。そんな感覚で見ていると、生徒たちの立居振舞がそれぞれに自然で馴染み深い。香椎由宇は神々しいが、こういう女子も必ずいるものである。もっともこの流れだと、ソンさんとの(ディス?)コミュニケーションが、筋の中心ではないけれども、相当映画の魅力を増していることは間違いない。ペ・ドゥナは、グエムルの長女役のときも思ったが、何となく微妙に自信がなさそうな表情がほどけるところがすごくいい。
 学園祭準備中の廊下を歩いていくシーン、学校モノにワンシーンワンカットを使いたくて使った!感がたまらなく好きだ。若手のタレントさんが映画撮影を通じて実際に何かできるようになるというウォーターボーイズ路線のようにそのプロセス自体が映画の最大の魅力になってしまうようなこともなく(高校生バンドなんてのはこんなものだし・・・それでもベースの関根史織のようにその延長上でプロになっちゃったりもするが)、何となく過ぎていくけれどイベントはイベントなんだよ、という構えが結局はリアルを支えているのだろう。
 機械警備になった学校はキライだ。マジです。

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『間宮兄弟』('06 日本)むしろ本間姉妹が見たい

 江國香織原作、森田芳光監督。佐々木蔵之介・塚地武雅主演。話題作だったが、私は駄目だった。ショットの一つ一つはキレイで、脇役も含めて演技も隙がないくらい。でもとにかく、このストーリーのユルさがどうしようもない。山場もないし落ちもない。私は江國香織を読まないのだが、妻がよく読んでいるので聞いてみたところ、そもそもそういうユルさがよい作家なのだそうだ。ということは、江國香織の味を忠実に映像化したのかもしれない。結局私には、女優陣がベテランから若手まで豪華なのが、この映画の最大の楽しみだった。戸田菜穂かなりスキです。間宮兄弟よりは本間姉妹をじっくり見たかったですね、本音を言うと。でもそれじゃあごく普通の青春映画か。多分このユルさ、単にユルさがダメだというよりも、男の一番恥ずかしいところが女の優しい目線で見守られてしまっているような布置で、たまらなく恥ずかしさを増長していくところがとてもダメなのだと思う。男としてはマゾヒスティックな映画なのですな。

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『モスラ』 ('61 日本)  Tunjukkanlah Kasaktianmu

 モスラを久しぶりに見ようと思ったのは、生福のCD『内容の無い音楽会』をこれまた久しぶりに聞いて、「うまかろう君の歌」を聴いて笑っているうちに、オリジナルのモスラの歌のほうを忘れてしまって、聞きなおしたかったからである。悪徳興行者ネルソン役のジェリー伊藤が今月亡くなったというのも、偶然とはいえ不思議な気分。
 あらためて見て、とにかく驚くほど丁寧に作りこまれた作品だと、いまさらながらに舌を巻いた。原作者が中村真一郎、福永武彦、堀田善衛というものすごさ、役者はフランキー堺、香川京子、志村喬、上原謙などなどとそうそうたる顔ぶれ。本多猪四郎監督に円谷英二特撮技術監督。ザ・ピーナッツの歌にフランキー堺の演技も楽しく、カメラマン役の若々しい香川京子は知的で美しい。映画としてはゴジラよりも面白いのではないかと思う。アメリカ公開のためにニュー「カ」ークのセットまで作って差し替えることになった特撮の入れ込みようはすばらしい。
 もちろん今見るとモスラはいかにも作り物だし、いくらよく出来ているからといってセットはセット、「原住民」はステレオタイプ、怪獣映画にはどうしても欠かせないご都合主義も顔を出す。それでも、製作者たちはギリギリのところで非常に気を遣ってつじつまを合わせようと努力しているのと、なんといってもフランキー堺をはじめとする実力ある役者たちの演技力で、ドラマとしてたいへん面白く仕上がっている。カラーの色合いがいいのはリマスター技術かもしれないが。核実験への警鐘と平和主義の標榜はゴジラと同様、「ロリシカ」国との微妙な関係(ネルソンを捕まえに来たり空港で警戒に当たるのがMPだ)など、メッセージも明快だ。
 さてモスラの歌だが、うまかろう君の歌のメロディはかなり原曲に忠実であった(ちょっと厳しいかも)。なおモスラの歌はインドネシア語でちゃんと意味が通る歌である。

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