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バックナンバー(08年01月〜05月)
☆このページは映画などの感想ですので、特に断りなくネタバレあります。悪しからず。☆

『フェアリーテイル』('97 イギリス) 見たことがないのに妖精のようにかわいいって

 コティングリー妖精事件を題材にしたファンタジー映画。長男をを肺炎で亡くして立ち直れない母親を気遣う少女の家に、父親が戦場で行方不明になった従妹が身を寄せる。兄が出会っていた妖精たちに少女たちも出会い、母親を勇気付けようと撮った写真が、真贋をめぐり騒ぎになる。コナン・ドイル(ピーター・オトゥールがはまり役!)とフーディニの交流を絡ませ、コティングリーの妖精がまさに実在したという設定で、家族の絆や少女たちの思いを丁寧に綴った、美しい映画だった。当然、CGは重要なのだが、妖精物語が展開する美しいイギリスの田園や森、川が、この映画には欠かせないだろう。イギリス映画の楽しみの一つである。二人の少女たちもかわいい。

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『UDON』('06 日本) やっぱり釜玉がうまそう

 この映画は、『サマータイムマシン・ブルース』が面白かったので、同じ監督ということで借りてみた。監督の出身地であり、『サマータイム...』の舞台でもあった香川といえば讃岐うどん。高校時代、学校のそばに讃岐うどん屋があって、「F高生10円引き」の札がかかっていて、「鴨南に掻き揚げ!」なんて旨かったけどもうないのだろうなあ。それが本当に本物の讃岐うどんだったかどうかは、もう分かりません。それはさておき、そばもうどんも好きな自分としては、ちょっと期待してみたが、ストーリーがあまりにも予定調和で、これは遊びの部分の面白さで見る映画。フジテレビの力をもってして可能な、ちょい役で有名俳優やコメディアン、女子アナをちりばめてみたり、CGでヒーローアクションを作ってみたり。ちょっとやりすぎ感があってうんざりしないでもないが、『サマータイム...』のSF研その他のメンバーが出てくるのが、私としては一番楽しめました。タウン紙休刊後の父子ストーリーが感動的ではあるがいくらなんでも長いなあ。最後まですいすい流れて欲しかった。

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『スーパーサイズ・ミー』('04 アメリカ) そしてスーパーサイズは消えた

 それは誰にでもできることだが、本当にそれをやる人は誰もいない。いたって健康で、しかもガールフレンドは自然食のシェフ(しかもしかも!かなり美人)というスパーロックが、30日間マックだけを食べる。すべてのメニューを試し、勧められたらスーパーサイズを断らないという条件。彼の身体はどんどんおかしくなっていき、楽観視していた医者からもストップがかかるほど。この実験の後、元の身体に一応もどるまで一年以上を要している。無論、このドキュメンタリーには科学的でないという批判が多い。マクドナルドだけを食べ続けることよりも、カロリーオーバーになるほど食べていることのほうがより問題なのは、一見すれば明らかである。カロリーを抑えながらであれば、マクドナルドだけを食べ続けても、それほどひどいことにはならないかもしれない・・・少なくとも、30日程度ならば。
 しかし、圧倒的多数の栄養士は、マクドナルドはまったく食べないか、ほとんど食べないほうが、身体に良いと考えている。極端で「科学的でない」手法がとられながら、そのセンセーショナリズムは、確実にこのドキュメンタリーにこめられたメッセージを増幅する役割を果たす。マクドナルドが子どもたちとその親たちを取り込むやり方は、アメリカに限らず日本でも同様に取られる、外食産業のやり口である。
 なかでも、アメリカの学校給食はひどすぎる、と愕然とした。スナック菓子、炭酸飲料、フライドポテト。自然食品で給食を提供する業者と費用は変わらないのに、このようなひどい給食を提供する業者は寄付金をばらまいてシェアを取り続ける。これに比べればまだ日本は・・・と思いきや、私の時代と息子たちの時代で、確実に給食の質は落ちている。日本でも学校給食で有機野菜を使うところが激減している。毒入りギョーザどころではない。確実に状況はアメリカ化している。
(私が5年間過ごした小学校は、当然自校給食で、当時としては珍しかった米飯給食も始めていて、暦にあわせたお祝いメニューなども楽しかった。転校した先の大規模校では格段にまずくなり、中学校はこれまた当時としては先進的なセンター給食、これは悲惨だった。初日の給食が「カンヅメのおでんとカンヅメの赤飯」であったことは忘れられない。時は流れて息子の給食を試食した妻は、給食を残さず食べろとは決して言わなかった。アレを美味しいと感じる人間にしたくないと・・・。)
 それにしても、スパーロックにせよムーアにせよ、こういう作品を世に出すのは一つの戦いには違いないのだろうし、見えないところで相当な攻防が展開されているのだろうが、それでも製作され、公開され、評価されることに、アメリカのやんちゃなところを感じる。そのやんちゃさがないのに、アメリカのやり方をこっそりまねる日本はかなり危ない。

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『亀は意外と速く泳ぐ』('05 日本) 上野樹里なんだけどスパイでもある妻ってどうよ

 上野樹里が好きで、いくつかセルビデオを買っていたのだが、ここで感想を書いていないことを思い出した。というわけでこれはその第一弾(というほど沢山ないが)。夫が海外に単身赴任中の若妻という設定だが、当時まだ十代だから無理がありそうでいて、退屈してスパイになるというわけの分からない展開の中にすんなり入り込んで自然に見えるから不思議だ。彼女をスパイに誘い込む夫婦など劇団系の怪優たちに混じって違和感がないのは、彼女の技量だ。日常の中の非日常願望と考えればそれほど分かりにくい話ではなく、舞台ではありがちな不条理モノとしてすんなり楽しめた。友人の蒼井優も、変わり者の役がけっこうはまっている。

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『スパイシー・ラブスープ』('98 中国) 鹹甜酸辣苦

 『胡同のひまわり』で泣かせてもらった張揚の作品。火鍋が苦手な青年の結婚までの流れに、5つの結婚をめぐるオムニバス短編が絡んで、はさみ込まれる展開。『声』は高校生の初恋(少女役の高圓圓がすごくかわいいなあ)の、ぽんと放り出されたような終わり方が妙に懐かしい。『マージャン』は老後のパートナーを求めるご婦人の話だがこのまま楽しい友達が増えてよかったねという落ちになるかと思うと・・・。『おもちゃ』は展開もハッピーエンドも楽しかった。『十三香』は子どもがけなげなだけに悲しく、フートンのひまわりを思い出させる。『写真』は最後にこんなにカッコつけたエピソードじゃガッカリ・・・と思いきや、とんでもない形で終わる(徐静蕾がすごくきれいだなあ)。全体としての完成度はどうとも言い難い不思議な構成だが、青年の結婚がこれからどんな道筋をたどっていくのかを様々に想像させる狙いか。また一貫して比較的豊かな階層の生活が描かれていながら、コミカルな中に実は紙一重の不安が強まっている感じが、この作品の魅力の裏打ちになっていると思う。友情出演で李宗盛や周華健がチョイ役ながら好演していたり、主題歌の莫文蔚のほかチャイニーズ・ポップスがよく流れたりというのも楽しめます。

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『天然コケッコー』('07 日本) 愛がないよなんて贅沢な

 地方のとても小さな小中学校に、東京から転校生がやってくる話。これもまたマンガ原作だった。長編のごく一部の映画化であろうから、ワタシのように映画だけを見るヒトにどのようにサービスしてくれるかで、製作側の配慮がわかるのだが、この作品はとても良かった。広海の転入から卒業までを、語りすぎず、方言を生かした脚本でまとめている。ときには聞き取りにくいほど距離感のある録音、ロケ地の美しさをとらえた映像、子役たちの素質を存分に引き出した演出が、登場人物と観客との間に居心地のよい親密感を生み出していた。ちっちゃな町に帰ってきた広海の母が、大きな波紋を引き起こすのかな、と心配と期待を持たせるけれど、結局ちっちゃな町はかえってゆったりと物事を受け入れていく余裕があるのだった。一つ一つの出来事の影響を、ちっちゃな町は一所懸命和らげようとしてくれるのだった。ヒロインを演じた夏帆は、予想以上に好演と感じた。『うた魂』見ちゃうかもしれないなあ。

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『トップ・シークレット』('84 アメリカ) ウシも車も、バックにご用心

 なぜこの映画を見ることになったかというと、技術倫理の講義案をひねくり回しているときに、フォード・ピントで検索をかけてひっかかったのだ。ピントはフォード社が拙速にコンパクトカー市場に投入した欠陥車で、ガソリンタンクの配置が悪く追突されるとかんたんに炎上した。10ドル程度の費用で改善できたが、フォード社は危険性を知りながら、死亡事故の賠償金を支払う費用のほうが安いと計算して作り続けた。これはそのまま『訴訟』という映画のネタになっているのだが、『トップ・シークレット』ではパロディのワンシーンとして出てくるというので、興味を引かれたのである。
 で、この映画、かなり面白かった。『フライングハイ』などを手がける監督トリオの作品で、戦争スパイパロディ映画になっている。といっても元ネタは『青い珊瑚礁』なんかがはいっていて、もうなんでもありである。名優も何人も登場。オマー・シャリフが、思い切りよくギャグを演じている。手の込んだギャグもすばらしく、ピーター・カッシングの登場シーンは途中まで完全にだまされていたし、西部劇パロディの格闘シーンは、「あの状況」でありながら、みな完璧に演じきっている。マイケル・ゴフやジェレミー・ケンプも渋いし、脚本を読んで気に入って音楽を引き受けたのがモーリス・ジャール。そして・・・あのウシ! 
 主役のヴァル・キルマーは歌も踊りもうまいし、ヒロインのルーシー・ガタリッジは美人だし、下ネタもご愛嬌で、私はかなり楽しめた。監督たちのコメンタリー付で見ると二度楽しいのだが(ウシの長靴の秘密も明らかに!)、ピントの場面は特に何も言っていなかった。このころのアメリカ人にとっては常識だったのだろう。

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『NANA2』('06 日本) 前に進むなら流されるのも悪くない(けどすぐ滝かも)

 というわけでやっぱり見てしまいましたNANA2。配役はだいぶ代わっていて、宮崎あおいのハチが市川由衣になったとか、松山ケンイチのベースがなんかかわいい男の子になったのとか、ナナの彼氏が前の人よりちょっと印象の薄い人になったのとか、いろいろ。まあでもそんなことよりも、すごく鬱々とした話になって、正直なところ見なけりゃ良かったかも。私は原作を読んでいないが、最初のシーンからいきなり、ありゃりゃ子どもができちゃったと? という展開が分かってしまうし(あのシーン、ないほうが良いのでは・・・)、ナナと彼氏の中がマスコミにばれるとか、それをバネに売り出すとか、バンド的なネタがやや陳腐な流れで、いっぽうハチに関してはまったく救いのない展開で、またまた(今度は予想はしていたが)コレで終わりですか?的に終わって、うーん消化不良。どうもスッキリしないですね。もうちょっとバンド的な部分があるのかという期待があったのですが。原作もこういう雰囲気なんですかね。

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『NANA』('05 日本) それで寒くないのか君たち

 原作を知らない私にとっては、えええええ!ここで終わりですか? という典型的な続編お待たせ映画化作品だったが、どうしてもバンドモノ(じゃないのかもしれないのだけど)にはついつい食指が動く。そのきっかけは大学生時代に読んだ森脇真末味の『おんなのこ物語』にあると思うが、自分自身の憧れでもあったし、今や大学生の長男がバンドをやっていたりすることもあるかもしれない。とはいえバンドモノとして見るにはいささか恋愛の色どりが濃くて、中島美嘉と宮崎あおいの役にそれぞれドキドキしている分にはうれしさ二倍、とくに中島美嘉が別れのシーンで汽車(電車でもディーゼルでも雪の中を走っているとつい故郷を思い出してあえて汽車っていうのは私くらいの世代の道産子のコダワリ<バカ)から跳び下りてぶざまにくず折れるシーンではハラハラと落涙したことは正直に告白しますけれど、バンドとしてはどうよ?というあたりが、あまりにもまだまだこれからというところで終わってしまうのである。さてさて、宮崎あおいが市川由衣になったという続編を借りるかどうか? ・・・きっと借りるな。ベーシストに松山ケンイチはイイ。

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『主人公は僕だった』('06 アメリカ) 話にならない人生も話になる

 コレはとても面白かった。主人公ハロルドは国税庁の調査員。コメディアンのウィル・フェレルが、一見とっつきにくい男の役を好演している。女流作家にエマ・トンプソン、文学教授にダスティン・ホフマンと、重厚な役者が脇を固める。ハロルドが税務調査に行くベーカリーの女主人がマギー・ギレンホール。10年ぶりの新作を執筆する作家が綴るストーリーが、実在のハロルドにナレーションとして聞こえてくる。精神科医にも見放された彼が訪ねたのが文学研究者の教授。教授のアドバイスに従って自分の行動を分析しているうちに、ハロルドは作家と出会うことになる。登場人物をいかに死なせるかが作品の鍵である作家と、実在のハロルドの人生が交わることによって、思いもよらない展開が。奇妙なストーリーにのめりこむのは、脚本の面白さに加えて隙のない演出だ。あらゆるシーンの輪郭がくっきりとしていて、余剰も不足もない。この完璧な構成あってこそ、この寓話が完結する。ヘンに幻想的な絵にしてしまったらすべてが台無しだ。もちろん、最初の謎は最後も謎のまま、という突き放しには大いに満足。原題は "Stranger than fiction"。見るものは stranger than fact を期待するが、期待にたがわぬ fiction だった。

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『キシュ島の物語』('99 イラン) まるで来ないほうが良いとでも言いたげな

 『一票のラブレター』をきっかけに見たいと思った、そのヒントになったという、三人の監督による三篇のオムニバス作品。レンタル落ちのビデオテープで入手することができた。ダンボールを集める男、指輪を買うために働く男、ドアを背負って娘と彷徨う男。ヘンな映画なのだが、キシュ島という場所がまずまったく私には想像のつかない場所で、廃船や砂漠が広がると思うとショッピングセンターがあったり、民族の風習が描かれたりで、完全に雰囲気に呑まれる映画だった。どの作品も、映像はクリアなのに、ストーリー運びがまるで予測がつかず気持ちはもやもやしているのだが、見終わってみると満足感や充実感とは程遠い印象なのに、その微妙にずれた世界に入り込んでいたことに気づかされる。これをイランの観光局が企画し、カンヌのコンペにも出品という経緯も理解を超えている。この映画を見てキシュ島に行きたいと思う人はあまりいないのではないだろうか。それにしても「不思議な世界にようこそ」とか「不思議ファンタジー」とかいううたい文句は、どうにもなじまない。それが功を奏さなかったのは、レンタル落ちなのに新品同様のコンディションが物語っている事実である。

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『トリック』('00, '02, '03 日本) 全部まとめて15+1枚お見通しだ!

 テレビで映画版を二週連続で放映したのを見るとはなしに見たら、テレビ版を見たくなって、借りてみたらすっかりはまってしまい、結局年末年始の休み中に3シリーズと特別編まとめ見してしまった。1,2シリーズは深夜枠、3シリーズがゴールデン枠だったということだが、テンションは3シリーズとも維持されているようだ。堤幸彦の監督センスがのびのびと発揮されている。阿部寛が自称天才物理学者の上田、仲間由紀恵が自称天才マジシャンの山田を演じる。二人が自称超能力者、自称霊能者のイカサマを次々と暴いていくという展開。上田の学識は相当怪しげだし、気が弱くてすぐ気絶してしまう。山田のマジックはさっぱり受けず、アパートに帰ればいつも大家に家賃を催促される。それでも、上田に依頼される謎解きをなんだかんだいって山田が押し付けられて解決していく展開は、バラツキはあるが作品によっては非常に凝っていて、なかなか面白い。脚本や演出にはそうとう遊びがあって、小ネタ満載の面白さも特色だが、やはりストーリー展開が奇抜ながらぎりぎりで破綻して(いることもあるがおおむね)いないのは面白さの前提だろう。豪華というか個性豊かなゲスト使いも絶妙。山田の母親役野際陽子もさすがの存在感。
 上田は巨根の童貞、山田は貧乳で性格が悪いというコンプレックスを持っているという設定も、どう考えても阿部はカッコイイし仲間はキレイなのに、それで嫌味がないのはこの二人のとぼけた持ち味だろうし、生瀬勝久演じる矢部刑事は自分ではゼッタイに認めないが回りは全員が知っているヅラというような設定も含めて、お互いにコンプレックスをつつきあうやりとりも毎回楽しい。
 仲間はこのドラマで大化けし、生瀬との共演も続くわけだが、二人の絡みが見られる『ごくせん』が、ドラマとしてあまり面白く感じられなかったのは、学園モノでマンガ原作というのも私になかなか合わない条件ながら、年末にあった再放送をちょっと見てわりとすんなり分かっちゃったのは、仲間以上にジャニーズのタレントたちに焦点が当たって、中心がボケてしまっていたからだ。『トリック』はジャニーズタレントが出ていたバラエティの裏だったために彼らが出ていなかったそうで、それもほんとうに良かった。そういえば『えらいとことに嫁いでしまった』は面白かったしなあ。仲間由紀恵はまったくイメージが変わらず、キレイだなあ。

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『不思議惑星キン・ザ・ザ』('86 ソ連) ノンスモーカーは生き残れない

 旧ソ連時代の映画のDVDはかなり出ていると思うのだが、なかなかレンタルでは見当たらない。SFやシリアスなファンタジーに傑作が多いと思うので、ぜひレンタル化して欲しいのだが(ビデオテープ時代に比べたら相当安くなっているのだから買えよといわれればそれまでだが・・・)。数少ないレンタル作品からのこの一枚は、お好きな方にはたまらない作品。不条理SFかと思われがちだが、テーマは案外シンプルな、SFファンタジーである。街角に立つ裸足の男にたまたま出会った建築技師と音大生が、その男がやってきた異星に飛んでしまう。荒廃したその星で珍重されるあるモノで取引をして何とか地球に帰ろうとするのだが、不可解な身分制度や文化風習に右往左往する。地球に帰るチャンスを何度か逃してしまうその理由は・・・。異星人たちの身なりからあのすばらしい釣鐘型宇宙船にいたるまで、とにかく汚しきった大道具小道具のできばえには感服する他はない。微妙なユーモアは旧ソ連らしい皮肉とも映る。しかしこの邦題の不思議というカワイイ言葉はなじまないし、キン・ザ・ザは惑星の名前ではない。

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